読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

備忘の読書録

備忘のために、て既に読んだことを忘れかけている、読んだ本の列挙。
柳瀬尚紀、『翻訳はいかにすべきか』、岩波新書、2000年(2011年2刷)
つまりはまあ、「心してせよ」ということであります。
以下怒涛の日本語関連。順不同。
中村明、『語感トレーニング―日本語のセンスをみがく55題』、岩波新書、2011年
田中章夫、『日本語雑記帳』、岩波新書、2012年
水谷静夫、『曲がり角の日本語』、岩波新書、2011年(同年2刷)
これの最後に21世紀末の日本語予想というのが出ていて、かなり愕然とさせられる
のであるが、百年前の人に言わせれば、今の私の日本語もそういうものなのかもしれない。
井上ひさし、『日本語教室』、新潮新書、2011年(同年13刷)
まこと話の達人。頭の回転が速いこと。
大野晋、『日本語練習帳』、岩波新書、1999年
これは家にあった本。読んだはずなんだけども。えーと、あーと。
大野晋、『日本語の教室』、岩波新書、2002年(2009年8刷)
再読(のはず)。背筋が伸びます。
大野晋、『日本語の起源 新版』、岩波新書、1994年(2011年23刷)
勢いあまって読む。そーかー、そーなのかー。
柴田武、『日本語はおもしろい』、岩波新書、1995年(2010年)

外来語の長音は、その直前にアクセントの山が来ないと、しばしば脱落する。(53頁)

というのを読んで、「フローベール」が「フロベール」になりつつある理由はこれか、
と思う。
井上忠雄、『日本語ウォッチング』、岩波新書、1998年(2012年14刷)
方言は奥深いなあ、と。
荒川洋平、『日本語という外国語』、講談社現代新書、2009年
これは目から鱗がばらばら落ちる。
学校文法と外国人が学ぶ文法はまったく別物だという事実は、
知っておいて悪くない。
岩波書店辞典編集部編、『四字熟語ひとくち話』、岩波新書別冊、2007年(2010年8刷)
これは文句なしに良書。
多岐亡羊汗牛充棟、校書掃塵、弄物喪心、美意延年、は覚えたい。
進藤英幸監修、高井ジロル著、『「漢和辞典」に載っているヘンな漢字』、二見書房、2008年
よく出来た本で、とても面白い。いろんな漢字を作ってしまいたくなった
昔の人の気持ちはわりとよく想像できるなあ。


加藤周一、『読書術』、岩波現代文庫、2000年(2010年14刷)
加藤周一はどこから読んだらいいじゃろか、ということで、
手始めに手に取った一冊。
「思想は石鹸のようには使えません」(52頁)とは名言ですな。
塚本昌則、『フランス文学講義 言葉とイメージをめぐる12章』、中公新書、2012年
この本のレベルはかなり高いと思う。でもその分、想定読者が見えにくくないか。
言葉がどのように「イメージ」を作り出すか、という問いはとても興味深いのだけれど、
定義はどうしても曖昧になる。それはそれで構わないのだろうが、
個別の作家論を貫通するテーマとしては、筋がもう一つ明確でない憾みなしとしない。
とはいえたくさん勉強になる本です。
ルソー、コンスタン、スタンダールバルザック、ネルヴァル、フロベール
ボードレール、ゾラ、ユイスマンスヴァレリー、バルト、プルーストについて各論。
山本雅男、『ヨーロッパ「近代」の終焉』、講談社現代新書、1992年(2010年28刷)
近代批判のテーマがすっかり出揃っていて明快。
20年経って、ここで述べられていることの大部分は常識のレベルに落ち着いたかもしれない。
しかしだからといって、我々が「近代」とすっかりおさらばできたわけでもあるまい。
小野正嗣、『ヒューマニティーズ 文学』、岩波書店、2012年
この本は強く推奨したい。
今の時代に、これだけ正面から「文学」を語れる著者は素晴らしいと思う。
最後に、古書店で見つけた二冊。
河盛好蔵、『回想の本棚』、中公文庫、1982年
何か使えるところはないじゃろかと期待するが、
目下のところは縁遠い。
島崎藤村がよくフランス語を読んでいたという話に感興を覚えた。
小林善彦、『パリ日本館だより フランス人とつきあう法』、中公新書、1979年
この本は復刊の価値があると思う。今読んでも、基本的なところは何も変わっていない。
フランス人相手の議論に負けないためには、ひたすらノンと言い続けるか、
フランス語ができるなら相手が黙るのを待たずにしゃべりつづけろ、
という教えは、まことにその通りに違いない。


さすがに、もうないか。いや、この際、あと二冊。
長島要一、『森鴎外 文化の翻訳者』、岩波新書、2005年
鴎外はたくさん翻訳をしたのだ。ああドイツ語ができたら楽しかろうなあ、と思った。
宮崎駿、『本へのとびら―岩波少年文庫を語る』、岩波新書、2011年
の中に、こんな言葉がある。

 ほんとうを言うと、本はいっぱいは要らない、五〇冊じゃなくて一冊あればいいとも思っているんです。(140頁)

まことにその通りだと、私は率直に同意する。
ただ、その一冊に出会うためには、五十冊、あるいはそれ以上の本と出会うことが
必要なのではないだろうか、とも思う。
だがそれにしたって、本当は一冊あれば十分なのだ。きっと。
もう一か所、ぜひとも引用しておきたい。

 「子どもにむかって絶望を説くな」ということなんです。子どもの問題になったときに、僕らはそうならざるを得ません。ふだんどんなにニヒリズムデカダンにあふれたことを口走っていても、目の前の子どもの存在を見たときに、「この子たちが生まれてきたのを無駄だと言いたくない」という気持ちが強く働くんです。
(163-164頁)

とりあえず、私にとって、これはモーパッサンに聞かせてやりたかった言葉である。