えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

時々はバルザック

ロダン作バルザック像

私自身が「彫像熱」statumanieに憑かれたみたいになってますが、ロダン作のバルザック像。
ロダン美術館にある方が元のようで、これはラスパイユ通りとモンパルナス通りの交差点にあるもの。
1939年に設置された由。
ロダンバルザック像は、文学者協会会長だったゾラによってロダンに制作が委託され、完成したのがドレフュス事件真っ盛りの時期で、大層物議を醸した作品だったそうな。
このモンパルナスの像には
A BALZAC
A RODIN
と台座に彫られている。


先日、久しぶりにバルザックを読んだ。
『人生の門出』Un début dans la vie.
時々バルザックを読むと、これぞレアリスムとたいへん感動するが、モーパッサンなら最初の馬車の場面だけで50頁で終わらせそうなところを、200頁書いて、それでもバルザックとしてはせいぜい短編か中編であるところ、なかなか読むのに骨が折れる。
バルザックの文章を読んでいると、一語一語に意味がぎっしり充填されているという感じを強く覚える。言葉を積み重ねることで、人物に立体的な厚みと存在の重みとを付与しようという、強固な信念のようなものがひしひしと伝わってきて、そのエネルギーに打たれる。
そして、そうした言葉によって描き出される人物像は実に多面的だ。馬鹿息子オスカルが馬車の中で大へまをやらかす、というのが前半の筋なのだが、このどうしようもない馬鹿息子が、最後にはそれなりに大成した人物になっており、最初ダンディーぶりでオスカルに嫉妬させたジョルジュは、最後にはなんだか落ちぶれた姿で登場する。
バルザックの描く人生は実に流動的で浮き沈みが激しく、この点には、政治体制ががらがら変遷した19世紀前半の社会に作家が見出した社会観が如実に反映しているのだろうが、こういうダイナミズムは、ゾラにもモーパッサンにも見出しにくい。
モーパッサンはむしろ人物を典型に落とし込むことに腕の冴えを見せた。そのことはゾラにも、恐らく程度の差こそあれフロベールにも当てはまるかもしれない。
バルザックの描く多面的で流動的な人物像は、捕えがたく、予測しがたい「現実」の印象を強く喚起する点で傑出している、という風に思われた。
もう一点恐れ入ったのは、お金の重要性である。
モーパッサンにも金の話はもちろん出てくる。しかしバルザックとはその度合いや重要性においてはるかに異なる。バルザックにおいては土地を売って幾ら儲けるとか、主人の陰でこっそりどれだけの財産を作るとか、終身年金はなんぼであるとか、そうした実に具体的な金勘定が、物語の筋と密接に関連しているのであって、それは装飾的な細部の肉付けなどではまったくない。


というわけで、ロダン作の仰々しいバルザック像も、バルザック先生だったらこれでいいのだと、なんとなく納得し、一礼捧げたくもなるのでありましたとさ。