えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

スタンダール徒然

リュクサンブール公園のスタンダール

ロダンといえば、リュクサンブール公園にも像がある。
今度はスタンダール1920年に設置らしいが、正確なことはよく分からない。ブロンズが溶け出してるんでしょうか。
彫刻家David d'Angers のデッサンに基づくものの由。
バルザックといいスタンダールといい、ロダンロマン主義的性格をよく表していると言っていいのかしら。


以前、スタンダールの似顔絵も描きたいものだと思ったものだったが、1842年に亡くなっているスタンダールには、たぶん肖像写真が残っていないので、断念したのであった。もちろん肖像画はあるけれども。


スタンダールとは長らく縁がない。
赤と黒』や『パルムの僧院』を読んだ時の
興奮だけははっきりと覚えているのだけれど。
今読んだらさぞかし面白かろうなあと思う。
ところで、モーパッサンスタンダールには文体がないとばっさり切り捨てた。作家は言いたい放題でいいもんだ。仏文研究者となると、そんなことはなかなか言えるものではない。
それでも、スタンダールには均整美が欠ける、
というようなことぐらいは、言えるかもしれない。もっとも、バロック真珠が他に代えがたい美を備えているように、いささかぼこぼこに見えないでもないスタンダールにも、唯一無二の個性と輝きがあるというものだろう。


バルザックスタンダールがとっつきにくいのは、王政復古時代の特殊な雰囲気というものが、なかなか分かりづらい、というところにあるかもしれない。
ナポレオンが、後に大きな夢だけを残して、疾風のごとくに消え去った後、戻って来た貴族達は財産を取り戻してふんぞりかえり、革命時にぼこぼこにされた教会もせっせと権威を取り戻す。
因習に囚われた保守的で辛気臭い雰囲気が充満する中に、ジュリヤン・ソレルの鬱屈した欲望は発生するのだ。
しかし考えてみると、先行世代が「既得権益」を抱え込み、若者にチャンスが回ってこない
(と当の若者には見える)という時代状況は、
現今の先進国社会と相通ずるものがあるように見えないこともない。
今こそスタンダールが共感をもって迎えられる時代、だったりしないものだろうか。


当のスタンダール自身はそんなフランスが大嫌いで、根っからのイタリアびいきだった。
それにしても思うのは、スタンダールのような人は、若者の夢と欲望が炸裂して、そのまま大団円を迎えてわははは、というような小説を書きそうに見えるのだが、そしてそうだったらただのお気楽な人に終わっていたのだけれど、
そうではなく、青春の夢が社会を前に打ち砕かれる様を描いた、ということの不思議と驚きである。実に見事にロマン主義であり、実に優れたレアリスムなのである。


ロダンの彫像は、グルノーブルにも同じものがあるようだ。生まれ故郷ではあるが、スタンダールグルノーブルの街も嫌いだったのである。後世の人は寛容というかなんというか、いささか酔狂なものである。
俗に言う草葉の陰で、アンリ・ベールはそのことをどんな風に思っているのだろうと、いささか感傷じみたことを、思ってみないでもない。