えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

モンテーニュの顰み

モンテーニュ像

19世紀ばかり続いたので、今度はモンテーニュ
rue des Écoles, ソルボンヌの真横あたり。
Wikipédia によるならば、
Paul Landowski (1896-1961)の作。
1934年にパリ市に寄贈される。
もとは石像だったが、1989年に、学生によるいたずらや破壊によりよく耐えるために、ブロンズのものに置き換えられた。
なるほど。


ラブレーモンテーニュ、とロンサールがいるというだけで、16世紀フランス文学はすでにしてあまりに豊穣だと言いたい。
できることなら16世紀の専門家になりたかったと今なら思いもするが、怠惰な私の手に及ぶようなものではなかったのだ。


別に後付けというわけではなく、このブログの密かな、はるかな目標は、モンテーニュの顰みに倣う、というものであったりする。
(もっともこの像は大変穏やかな顔なので、顰みはありませんが。)
「エセー」の意味は勿論のこと、「判断力の試し」である。
目下の私は斯く斯くのように考える。でもその判断は偏っているかもしれないし、間違っているかもしれない。
「私は何を知っているか」という問いかけは、
「私は何も知らないのではないか」という懐疑を裏に秘めたものだ。学問をするということは、決して知識を溜め込むだけのことではない。いや、そうであってはならない、と少なくとも私は思う。
自己の判断力を絶えず、繰り返し問い直すこと。学問は人を謙虚にこそすれ、傲慢にするものであってはならないと、自戒を込めてここに記す。


さはさりながらの何とやら。
その遥か高みの目標に、日々の自分がどれほどに近づけているかというと、これほど心もとないこともない。それでもやっぱり、志は高くありつづけたいものです。


そういうわけで、モンテーニュ先生にも敬意を込めて一礼捧げる次第。
最後に話は銅像に戻ろう。
写真では光って見えないが、台座に文字が刻まれている。これも、とりあえずウィキペディアからそのまま引用する。手抜きだ。

Paris a mon cœur dès mon enfance. Je ne suis français que par cette grande cité. Grande surtout et incomparable en variété. La gloire de la France et l'un des plus nobles ornements du monde.
幼少時よりパリは私の心を捕えて離さない。この偉大な都市によってこそ私はフランス人なのである。その多様性においてとりわけ偉大であり比類がない。フランスの栄光であり、世界有数の高貴な装飾である。

出典は『エセー』第3巻第9章「虚栄について」の中の一節だが、大幅に省略があり、また、現代綴りに直されている。