えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

モーパッサンの石像に

モンソー公園のモーパッサン像

あちこちに頭を下げてばかりいると
モーパッサンに怒られるというか
呆れられそうな気がしないでもないので、
モンソー公園のモーパッサン像。
なにやら子どもがおったり、
頭に鳩がとまったりしてますが、
みんなに愛されるモーパッサン
ということにしておきたい。
(気安く座ってはいかん、と説教したい気もないではないけど。)
Raoul Verlet (1857-1923)による1897年の作品。
胸像の下には、
モーパッサンの作品を読んで夢想に耽る女性の姿。
モンソー公園には、他にミュッセ、パイユロン、グノー等の像が
あるが、揃って「偉そうな芸術家+女性」の
ロマンチックなものばかりであって、
いささか浮世離れした空間になっている。


モンソー公園のモーパッサン像というと、
永井荷風モーパッサンの石像を拝す」(『ふらんす物語』所収)の話になる。
実は、5年ばかり前にこの作品の仏訳を試みた。
その時に学んだことが、二つばかりある。
一つめは、やりだしてすぐに気づかされたのだが、
それは私のような未熟者には甚だしい越権行為であった、ということだ。
まずもって、これほどに、自分の語学力の限界を
あからさまに痛感させられる行為は他にはあまりない。
さらにくわえて、
とりあえず苦労しいしい、原文の単語を置き換えた後に、
それではフランス語の文になりきらない時に、
何にどこまで手を加えることが許され、また必要とされており、
どこに最適の解がありうるのかということについての判断が、
私にはまったくつけられない、ということをしみじみ理解したのだ。
仏訳には二度と手を出すまい、とその時、心に誓った。
せっかくなので、その時の拙訳を少しだけ覗いてみる。
もっとも、これは他の方にも助けて頂いて出来たものです。

 大理石の白い石像は半身で、先生が四十歳頃の逞(たくま)しい容貌、しかし、その眉の間には、写真で見るような、凄い、鋭い、神経の悩みがなく、むしろ優しい穏(おだやか)な表情が浮んでおります。像を頂いた柱は長く、その下には石榻(せきとう)に片肱(かたひじ)をつき、両足を長く前に伸した、その膝の上には、一巻の書物を開いている若い婦人の彫像があります。先生の愛読者を現わしたものだと、案内記に説明してありますが、その婦人の容貌の美しく強く艶(なまめ)かしい中にも、いうにいわれない病的な憂(うれ)わしい表情のあるのは、先生が著作全体の面影を遇した彫像家の、苦心の後かと思われます。石台の側面にはHOMMAGE A GUY DE MAUPASSANT(ギー、ド、モーパッサンのために)との文字。
(永井荷風、「モーパッサンの石像を拝す」、『ふらんす物語』(初版)所収、岩波文庫、2002年(改版第1刷))
 Le buste de marbre blanc vous représente robuste à quarante ans, mais, entre les sourcils, au lieu d’une inquiétude nerveuse, terrible et aiguë comme dans votre portrait, on voit plutôt un air doux et apaisé. La colonne servant de support est haute ; en bas, il y a la statue d’une jeune femme qui, le coude appuyé sur le fauteuil de pierre et les jambes étendues devant elle, ouvre un livre. Le guide explique qu’elle représente la lectrice zélée de vos œuvres ; si l’on décèle dans sa beauté, sa force et sa coquetterie une mélancolie maladive, cela me semble le résultat de l’effort du sculpteur qui a voulu représenter l’image de toute votre œuvre. Sur un côté du socle, on voit ces lettres gravées : « HOMMAGE A GUY DE MAUPASSANT ».
(Kafu NAGAI, « Prière devant la statue de Maupassant » dans Récits de France (1909).)

学んだこと(かどうか)のもう一点。それは、
モーパッサンをはじめ多くの作家をフランス語で読んだ永井荷風であっても、
その日本語が、主語・述語の対応関係の明確な、分かりやすいものになる、
というような変化は特に見られなかったようだ、という事実である。
そこから、その点に、フランス語の読書の影響は見られなかった、
と即断してよいのかどうかは分からない。
あるいは、ヴェルレーヌボードレールを(漠然と)意識した上で、
リズムのよい、音楽的(曖昧な概念)な文章を作ろうとした結果
であったかもしれないし、
あるいは、外国語体験が、かえって「日本語らしい日本語」を
意識させるようになったかもしれない。


さて、今の私は「モーパッサン先生」の石像に向かって何を思うか。
それはなかなか難しく、どうも言葉にまとまらない。
そこで、今日のところは永井荷風の文章を拝借したい。
もっとも私は「恋を捨て」たりしたわけではありませんけども。

東洋の端(はず)れに生れた自分までが、今此処(ここ)に、恋を捨ててまでも遠く来(きた)って、その下に拝伏する事が出来る恩沢(おんたく)を察せられたなら、先生は苦笑しつつも、後人の罪を許されるであろうと思います。
(同前)
Si vous pensez à la grâce qui m’est accordée, puisque même moi qui suis né en Extrême-Orient, en délaissant mon amour, je viens m’agenouiller devant votre statue, vous pourrez pardonner, avec un sourire jaune, ce péché de la postérité.
(Ibid.)

「東洋の端れ」に生まれた自分までが、西洋の一作家と付き合ってはや十数年。
それを奇縁と呼ぶべきなのか何なのか。
まったく、苦笑しつつも許してくださいね、
と言いたいような気分である。