えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

シャトーブリアンの時代

シャトーブリアンの像

パリ、7区。
Square des Missions étrangères にあるシャトーブリアンの像。
彫刻家 Gambierによって1948年に作られた由。
この公園はrue du Bacに面しているのだが、この通りの住居に、晩年のシャトーブリアンが住んでいたのにちなんでいる。


そういえば、先日のモーパッサン通りは、作家自身とたいして縁がないと記したが、パッシーには高名な精神科医ブランシュ博士の病院があって、そこでモーパッサンは亡くなったのである。
それにちなんでいるといえばちなんでいるのではと先日、フランス人の先生にご指摘いただく。
なるほど。ここに訂正しておきたい。


シャトーブリアンに関して私に何か言えるはずもない。
と威張ってみても仕方ない。
『ルネ』や『アタラ』を今読むと笑ってしまうのは、(まあ、それしか読んでないでもの言うのが傲慢なんですけども)作者が大真面目に大仰であるからであるが、それはつまり、ロマン派の時代の感性のある種のあり方がある時点で完全に潰えてしまったということに他ならない。ユゴーの演劇が今日鑑賞に堪えがたいのと事情は同じだ。
シャトーブリアン
かつては「言葉の魔術師」と称えられたその美文が、時代を経て、今では大仰で内容空疎な虚言に映ってしまう。
レトリック(文飾)と「虚飾」とは、本来、紙一重なものである。
それにしても、忘れてはならないことがあるとすれば、そのような受け取る側の感性の変化は、端的に言って、豪奢をこそ尊ぶ貴族の時代から、実利を重んじる功利的なブルジョア社会への変遷と軌を一にしている、いや、そのことそのものだということである。


その時、失われたものが他にもあるとすれば、その第一は「崇高」という概念であるだろう。大地にしっかりと足を置くということと、「地に堕ちる」ということとは、同じことをどのように見るかの違いでしかないのである。
シャトーブリアンの時代、それは人間が崇高でありえた、あるいはありえると信じた時代である。
もちろん『キリスト教精髄』の著者にあっては、「神とともにある人間」は崇高でありえた、と言うべきかもしれない。


いずれにせよ、人間性への信頼と自負と傲慢がないまぜになって激しく輝いた時代があった。
シャトーブリアンみたいな人物が出てくるのは、そういう瞬間が束の間にせよ、確かにあったからだ。
もっとも、そんな時代は長くは続かない。
そして、崇高さを失った人間に対し、後の芸術家はせっせと皮肉と冷笑と罵倒とを浴びせることで、自らの腹いせとすることになるだろう。
そして、苦い話であるのだけれども、その時にこそ、芸術において、本当の意味での19世紀、
つまり「近代」が始まるのである。


と、「シャトーブリアン」という名前に煽られて、高慢な調子で文章をひねったりしてみたのであるが、そんなことしているよりも、旨いステーキでも食べたいもの、というものかもしれない。