えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

浅草のどじょう屋

あるアンソロジーで読んだ『放浪記』の一節が記憶に残っているので、現物を確かめようと思って読み始めたら、読めども読めども出てこない。ようやくたどり着いたのは、戦後に書かれた第三部であった。

(三月✕日)
 うららかな好晴なり。ヨシツネさんを想い出して、公休日を幸い、ひとりで浅草へ行ってみる。なつかしいこまん堂。一銭じょうきに乗ってみたくなる。石油色の隅田川、みていると、みかんの皮、木裂、猫のふやけたのも流れている。河向うの大きい煙突からもくもくと煙が立っている。駒形橋のそばのホリネス教会。あああすこはやっぱり素通りで、ヨシツネさんには逢う気もなく、どじょう屋にはいって、真黒い下足の木札を握る。籐畳に並んだ長いちゃぶ台と、木綿の薄べったい座布団。やながわに酒を一本つけて貰う。隣りの鳥打帽子の番頭風な男がびっくりした顔をしている。若い女が真昼に酒を飲むなぞとは妙な事でございましょうか? それにはそれなりの事情があるのでございます。久米の平内様は縁切りのかみさんじゃなかったかしら……。酒を飲みながらふっとそんな事を思う。鳥打帽子の男、「いい気持ちそうだね」と笑いかける。私も笑う。
林芙美子、『放浪記』、岩波文庫、2014年、第三部、473頁)

『放浪記』は貧しくても強くたくましく生きる女性のお話かと思っていたが、私の読んだところ、全体としてはむしろ、極貧の生活に喘ぎ、泣き暮れる女性のお話であった(少なくとも著者による改稿を経た決定版の印象はそうである)。せっかくなのでもう一か所引用。これは第一部。

(十月✕日)
 秋風が吹くようになった。俊ちゃんは先のご亭主に連れられて樺太に帰ってしまった。
 「寒くなるから……」といって、八端のドテラをかたみに置いて俊ちゃんは東京をたってしまった。私は朝から何も食べない。童話や詩を三ツ四ツ売ってみた所で白い御飯が一ケ月のどへ通るわけでもなかった。お腹がすくと一緒に、頭がモウロウとして来て、私は私の思想にもカビを生やしてしまうのだ。ああ私の頭にはプロレタリヤもブルジョアもない。たった一握りの白い握り飯が食べたいのだ。
 「飯を食わせて下さい。」
 眉をひそめる人たちの事を思うと、いっそ荒海のはげしいただなかへ身を投げましょうか。夕方になると、世俗の一切を集めて茶碗のカチカチという音が階下から聞えて来る。グウグウ鳴る腹の音を聞くと、私は子供のように悲しくなって来て、遠く明るい廓の女たちがふっと羨ましくなってきた。私はいま飢えているのだ。沢山の本も今はもう二、三冊になってしまって、ビール箱には、善蔵の「子を連れて」だの、「労働者セイリョフ」、直哉の「和解」がささくれているきりなり。
(同前、第一部、114-115頁)