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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

燃やしてはいけないもの/ヴァネッサ・パラディ「空と感情」

 『ハリー・クバート事件』を読んでいたら、はじめの方にこんな場面が出てくる。殺人事件の容疑者として疑われた師匠たる大作家に、手書き原稿などの品を燃やしてくれと、物語の語り手が頼まれるのである。

原稿は大きな炎となって燃え上がり、ページがめくれて火のなかで踊った。床に座り込んだぼくの目の前で、ハリーとノラの物語が消えていった。

(ジョエル・ディケール『ハリー・クバート事件』、橘明美訳、創元推理文庫、2016年、上巻、101-102頁)

 「アメリカを代表する大作家の一人」(32頁)の、「千五百万部の大ベストラーになり、全米批評家協会賞と全米図書賞を受賞した」(37頁)「後世まで残るに違いないあの名作」(40頁)の手書き原稿を、そんなに簡単に燃やしてどうする! お前は本当に弟子か! 作家のくせにカフカとマックス・ブロートの話も知らんのか!(冷静に考えるとあんまり関係ない)と憤りました、という(だけの)お話。実は語り手が嘘をついていて、燃やさずに隠していたという伏線かと邪推するも、全然そういう話ではないのであった。

 やれやれ、畏るべしかなパソコン世代、とか。

 

 ところで、実は最近よく聴いているのはヴァネッサ・パラディの『Love Songs』、2013年のアルバム。

 

www.youtube.com

J’ai jamais attendu le soir
Pour m’enivrer de ton histoire
Raconte-moi les océans
Les espaces et les sentiments

("Les Espaces et les sentiments")

 

決して夜を待ったりせずに

あなたの物語に酔いしれた

語ってよ 私に 海のこと

空や 感情のことを

(「空と感情」)

 一流のプロデューサーを選びつづけることができる、というのも一つの才能ではないかと思ったり。

 

 最後に、いつものように脈略なく、先日の『繻子の靴』からの引用。

ドニャ・プルエーズ わたくしの苦しみは、禁じられてはいない。

ドニャ・ミュジーク その方の幸せを、お望みにはならないの?

ドニャ・プルエーズ あの人にも、苦しんでほしい。

ドニャ・ミュジーク 苦しんでおいでですわ。

ドニャ・プルエーズ まだ足りません。

ドニャ・ミュジーク 呼んでいらっしゃる、お答えにはなりませんの?

ドニャ・プルエーズ あの人にとって、わたくしは、一つの声ではないもの。

ドニャ・ミュジーク では、なんなのですか、あなたは?

ドニャ・プルエーズ 剣(つるぎ)です、あの人の心臓を貫く、剣(けん)。

ポール・クローデル『繻子の靴』(上)、渡邊守章訳、岩波文庫、2005年、111頁)