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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

楽しむ秘訣(『パスカル『パンセ』を楽しむ』)/ディオニゾス「ジャックと時計じかけの心臓」

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 山上浩嗣パスカル『パンセ』を楽しむ 名句案内40章』、講談社学術文庫、2016年を読む。

 17世紀の思想家パスカルは、なにしろ言うことが厳しく、その調子はさながら人間性を丸ごと断罪するかの如くのものだから、これに挑もうとする読者の側はついつい、膝を正して一言一句拳拳服膺しようと(して挫折)するか、とてもついていけないと放り出す(と、心の内に一抹の疚しさが残る)かの、どちらかに陥りがちではないだろうか(ま、これまでの私がそうだった、というだけの話かもしれないが)。そんな状況において、このパスカルを「楽しむ」という発想はとても新鮮であり、入門者にも開放感と安心感を与えてくれるものと言えるだろう。

 では「楽しむ」とは、どういうことだろうか。恐らくそれは対象との間に適度な距離を取り、好奇心をもってパスカルという(等身大の)一人の人間と向き合うことだ。彼の言うことを一から十まで崇めるのではなく、「こんなことを言っているよ」と、驚いたり、感心したり、あるいは時には呆れたりもすることだろう。そういう読書は健全なものに違いない。とは言え、そんな読書は必ずしも『パンセ』原文を相手にすぐにできるものでもないところが悩みどころであり、そこにはやはり導きの手があってほしいものである。

 本書は、パスカルの思想の本質にかかわる40の断章のそれぞれに、著者による明快な解説が付されており、『パンセ』の入門書として実に適したものとなっている(とりわけ、平易に意味が取れるように工夫された訳文が素晴らしい)。加えて、著者の対象との距離の取り方が適切かつ的確であることからくる風通しの良さが、本書を読みやすく、大いに「楽しめる」ものにしているのである。

 一か所だけ、『パンセ』の文章を引用しておきたい。

 傲慢。

 好奇心は、たいていの場合、うぬぼれにほかならない。人が何かを知りたがるのは、それについて人に語って聞かせるためである。さもなければ、誰も航海などしないだろう。人に何も語らず、単に見る楽しみのためだけで、人に伝える希望がまったくないならば。

(『パスカル『パンセ』を楽しむ』、96頁に引用。)

  いや、まったく耳が痛く、「楽しむ」のも、なかなか難しい。

 

 才人マチアス・マルジュー Mathias Malzieu は、2007年にファンタジー小説『時計じかけの心臓』La Mécanique du cœur を発表。同年、彼が中心を成すグループ、ディオニゾス Dionysos は、同題のアルバム(架空のサントラ盤のようなもの)を発表している。そして2014年にはマチアスが監督のアニメ映画『ジャックと時計じかけの心臓』Jack et la mécanique du cœur が公開された(音楽はもちろんディオニゾス)。

 エジンバラに住む、時計仕掛けの心臓を持つジャック(マルジュー)は恋することを禁じられているが、ひとめぼれしたミス・アカシア(オリヴィア・ルイーズ)に会うためにアンダルシアまでの旅に出る。甘く切ない恋物語。そのタイトル曲。

www.youtube.com

Il était une fille toute en talons aiguilles
Et cœur de cactus
Il était un homme-horloge
Qui se déréglait par amour
Comme toujours
("Jack et la mécanique du cœur")
 
昔あるところに女の子 ハイヒールを履いて
心にはサボテンの棘
昔あるところに時計男
恋に迷って調子が狂う
いつも変わらず
(「ジャックと時計じかけの心臓」)

 

 せっかくなので、最後にもう一つパスカルの引用を。

 量の多すぎる酒、少なすぎる酒。酒を少しも飲まさずにおけば、人は真理を見いだすことができまい。多く飲ませすぎても同じことだ。

(同前、72頁に引用。)

  まことに「中庸」は難しいですね。