えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

「脂肪の塊」、あるいは自己欺瞞/ギエドレ「立ちション」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「脂肪の塊」についてはこれまでに何度か書いたり話したりする機会があったので、言いたいことはだいたい言ったという思いがあるのだけれど、それでもせっかくなので一言記してみたい。

 モーパッサンの文学にとってキー・ワードの一つは hypocrisie であり、それはまさしくこの出世作「脂肪の塊」についても当てはまる。この語は一般に「偽善」と訳されるのであるが、つらつら思うには、「自己欺瞞」という語のほうがより核心をついているのではないだろうか。

 確かに娼婦〈脂肪の塊〉の旅の連れ合いたる貴族・ブルジョアたちは、貞淑な紳士・淑女という体裁を保ちつづけようと振る舞うのであり、それを偽善的態度と呼ぶことができるだろう(その化けの皮は作品中で十分に暴かれるのであるが)。だが私にとってより重要な問題と思われるのは、彼らが自分たちの行動を正当化する、その振る舞い方のほうなのである。この違いは些細なものかもしれないが、あえてその相違にこだわっておきたい気持ちが私にはある。

 多くの場合、人間は「悪事を働こう」と考えて意図的に悪事を働くのではない。そういう真に「悪魔的」な人物はむしろ例外的な存在だろう。そうではなくて、たとえ利己心に駆られてする行為であっても(そして、それが他人に害を与えるものであっても)、それを自分に対して正当化する言い訳を見いだせる時に、人は容易にその行為を自分に許しうるのである。あるいは、何らかのやましい行為を働いてしまった後に、それを正当化できる理由を(必死に)探し出す生き物なのだ。いわく、自分だけではなく皆がやっているではないか、いわく悪いのは向こうの側だ、いわく、しょせん大したことではない、いわく・・・。

 「脂肪の塊」において、この「言い訳」は、〈脂肪の塊〉が頑なに抵抗するのに腹を立てたロワゾー夫人が怒りを爆発させた時に、端的に表明される。

まっぴらですよ、こんなところにいつまでもじっとしてるなんて。どんな相手とでもあれをするのが、あの淫売の商売でしょ。選り好みする権利なんかありませんよ。

(「脂肪の塊(ブール・ド・スュイフ)」、『脂肪の塊/ロンドリ姉妹 モーパッサン傑作選』、太田浩一訳、光文社古典新訳文庫、93頁)

  もとより、誰のことでもない。私は自分自身の内に、この自己正当化への欲望が根深く存在することを経験的に知っている。だからこそ、初めて読んだ時から「脂肪の塊」は私にとって見逃すことのできない決定的な作品だったし、それは今に至っても少しも変わってはいないのである。

 

 ところで話は変わって、太田浩一の訳文で一点だけ不満に思うことは、ヒロインの名前を「ブール・ド・スュイフ」とカタカナで表記しているところである。通例となっている「脂肪の塊」の意味が強すぎるか不細工であるか、なんらかの理由で忌避したい気持ちは分からないではないが、しかしカタカナ表記では解決にならないだろう。

 「脂肪の塊」という語は確かに不躾であるが、その不躾さは、Boule de suif というフランス語の内にだって含まれているに違いない。それはあからさまに差別的なニュアンスをはらんだ娼婦に対する侮蔑的な呼称なのである。だがしかし、このモーパッサンのテクストは、終始一貫して、ヒロインの名を本名のエリザベート・ルーセではなく Boule de suif の名で呼び続けるのである。もちろん一義的には、実際に彼女をそう呼ぶ周囲の人物たちの言葉を、テクストは「客観的」に採用しているという建て前の上でのことである。だが、それは本当にそれだけのことだろうか?

 いずれにしても、彼女が「脂肪の塊」と呼ばれる存在であることを、テクストは繰り返し読者に思い出させるのであり、その効果は、意味内容を伴わないカタカナ表記では補うことはできないだろう。私はそんな風に考える次第である。

 

 さて、偽善と自己欺瞞に対して敢然と諷刺をぶつけて笑いの対象とする、リトアニア出身の奇才 Giedré ギエドレをご存知だろうか。2014年に『私の日本でのファーストアルバム』を出したリスペクトレコードは本当に偉い。

http://www.respect-record.co.jp/discs/res252.html

 ギエドレさんについて言いたいことはたくさんある。とりあえず21世紀に登場した女ブラッサンスと呼んでみたいところだが、本音を言えば彼女はブラッサンスよりも才能があるのではないかと思う。現実の滑稽な面、醜悪な面から視線を逸らさない点でユモリストはいつでもレアリストであるが、それをさらに笑いに転じてみせるためには理知的であると同時に鋭敏であり、タフであると同時に繊細でなければなるまい。中には相当にえぐい歌も色々あるが、ひとまず代表曲の「立ちション」を挙げておこう。男女の不平等への抗議が、「立ちションしたい」の一言に託されている。

www.youtube.com

OUhouhou j'aimerais pouvoir pisser debout
Ouhou
Pisser debout
(x 2)
("Pisser debout")
 
立ちションができたらいいのに
立ってオシッコ(×2)
(「立ちション」)

  息長く活動してほしいと思っています。