えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

「マドモワゼル・フィフィ」、あるいは男女の闘争/Kyo「聖杯」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「マドモワゼル・フィフィ」は1882年の作で、「脂肪の塊」に次いで、娼婦と戦争とを結び付けた作品。1884年に書かれる「寝台29号」と合わせて、戦時下における娼婦を主題とした三部作と呼んでもいいかもしれない。モーパッサンは早くから男女の関係を闘争、ないし支配と被支配の関係と捉えるのだが、この三作においては、それが戦争というテーマと重ねられることによって、複層的な意味を持つ作品に仕上がっている。そこでは、娼婦と軍人、男と女の間に、個人の尊厳を賭けた戦いが繰り広げられる。

 もっとも「脂肪の塊」においては第三項となる「ブルジョア市民」(そして彼らがさらけ出すエゴイズムと自己欺瞞)にむしろ主題が置かれていたのだが、その第三項が不在なぶん、「マドモワゼル・フィフィ」および「寝台29号」では、より直接的に二者の対立が前面に現れ、その分いっそうに、その闘争は容赦のない熾烈なものとなるのである。

 ここに描かれる娼婦たちは、敗戦後、ドイツ人将校たちを相手にすることを受け入れてきたのであり、つまり彼女たちは敗北を受け入れた者たちである。しかし宴会の場でのサディスティックな将校〈マドモワゼル・フィフィ〉の侮辱が度を越した時に、娼婦の一人ラシェルは、怒りを抑えきれず、さながら窮鼠猫を噛むがのごとき一撃によって復讐を遂げる。

 〈マドモワゼル・フィフィ〉は「フランスの女もすべてわれわれのものだ!」と大声を上げ、ラシェルはそんなはずはないと言い返す。

 ヴィルヘルム少尉は笑いながら腰をおろし、パリジャンの口調をまねて言った。「まったく、かわいいことを言う娘だ。だったら、そもそもおまえはここへ何しにきたんだ?」

 頭に血がのぼり、女はすぐに返事ができなかった。興奮のあまり、相手のことばがよく耳に入らなかったのだが、何と言われたのかわかると、いっそう憤慨して、激しく言いかえした。「あたしは、あたしは、まっとうな女じゃないの。売春婦よ、プロイセンのやつらには、売春婦がお似合いでしょ」

(「マドモワゼル・フィフィ」、『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』、太田浩一訳、光文社古典新訳文庫、2016年、142頁)

 個人的には、この辺りの訳文の調子は物足りないものがあるが、ラシェルという明白にユダヤ人らしい名前の娼婦(二重のマージナリティーの指標)が、「フランス女性」に対する侮辱を一身に引き受けて復讐に至る、という辺りの複雑な機微は、なかなか簡単に説明しきれないところがあり、ぜひ一読して頂きたいと思う作品だ。 

 ところで、この作品は新聞に掲載された初稿においては、ラシェルが教会に匿われていたというところで終わるのだが、単行本収録に際してモーパッサンは結末を加筆している。そしてこの結末の場面が、長らく私にとっての悩みの種なのである。

 その後しばらくして、ラシェルはある愛国者に見そめられて娼家を出た。なんら偏見を持たない男で、女の勇敢な行動に惚れこんだのだが、やがてラシェル自身を深く愛するようになり、結婚することにした。かつての娼婦は、他の上流貴婦人とくらべても少しも見劣りしない、貴婦人となった。

(同前、146頁)

  この(モーパッサンらしくもないと言える)あからさまなハッピー・エンドはいったい何なのか。ここに、ルイ・フォレスチエのような研究者でさえもが、モーパッサンのドイツ嫌いの思い、対独報復の主張への一種の同調を見てとるのだが、果たして本当にそいうことなのだろうか。

 私としては、むしろこの結末によって、ドイツ将校殺害という「愛国的」行為を盲目的に称えるような類の「愛国者」に対する疑念が、アイロニカルな形で表明されているのだと受け止めたいという思いがある。少なくともそのほうが、モーパッサンの戦争を主題とした一連の作品への解釈は整合的なものとなるように思うのであるが、はたしてどうだろうか。

 

 話は変わって、ふと Kyo が2014年に出したアルバム L'équilibre を思い出す。Le Chemin を出した2003年頃に絶好調だったのだけれど、あっさりと活動を休止してしまった、そのバンドが活動を再開した。当時わりと好きだったので期待して聴いたのだけれど、その音楽が(良くも悪くも)あまりに変わっていないことに、いささか驚いたりもしたのだった。いやまあ、我儘な話ではある。

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Comme Indy j’ai cherché le Graal, la jeunesse éternelle

Le botox dans les veines

J’arrête de fumer et de boire chaque dimanche, chaque semaine

J’ai rechuté hier

 ("Le Graal")

 

インディのように探した、聖杯、永遠の若さを

血管にはボトックス

タバコも、毎週、日曜に飲むのも止めた

でも昨日、僕はふたたび病気に陥った

(「聖杯」)