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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『あらゆる文士は娼婦である』

フランス文学 文学研究

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 石橋正孝・倉方健作『あらゆる文士は娼婦である 19世紀フランスの出版人と作家たち』、白水社、2016年を読む。
 芸術作品はそれが流通する媒体と切っても切れない関係にある。19世紀フランス社会においてはペンで身を立てることが可能となり、作家が職業として成立したが、その背景には、産業革命を経た近代大衆社会における読者の増加、新聞・雑誌のメディアの発展、さらに印刷技術の向上による商品としての書籍の流通の拡大、等々の事由が存在した。
 近年の文学研究は単にテクストおよび作者にまつわるものばかりでなく、生産、流通、媒体等を含めた、社会制度・文化資本としての文学のありようを歴史学社会学的観点から検討する研究も増えている。
 日本では、新聞・雑誌に関しては、鹿島茂『新聞王ジラルダン』(ちくま文庫)や『「かの悪名高き」十九世紀パリ怪人伝』(小学館文庫)、山田登世子『メディア都市パリ』(ちくま学芸文庫)が早くからこうした分野を捉えていたが、こと出版者に関しては、私市保彦『名編集者エッツェルと巨匠たち フランス文学秘史』(新曜社)、石橋正孝『〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険 ジュール・ヴェルヌとピエール・ジュール・エッツェル』(左右社)が、エッツェルという特異な出版人の存在の重要性を浮き彫りにしたのみ、という状況だった。後者の著者も含む二人の著者による共著『あらゆる文士は娼婦である』は、その欠落を埋めるものとして書かれたものであり、文学生産の陰の立役者に光を当て、これまで知られることのなかった作家と出版者との愛憎相半ばするような濃い関係についての興味深い物語を綴っている。
 前半は主に小説に関わり、エッツェル書店、ラクロワ・ヴェルブックホーヴェン書店(1章)、マルポン・フラマリオン書店とシャルパンティエ書店(2章)と、ユゴーフロベールボードレール、ゾラらとの関係が述べられている。作家は少しでも多くの金を出版者に出させようとし、出版者は損失を最小限に抑えたまま最大限の利益をあげようと画策し、作家と取引する。その関係はとても一筋縄にいくものではない、ということが実によく分かる。個人的に特に興味深かったのは、第二帝政下におけるフランスとベルギーとの地理的関係が何を意味したのかという点や、書物の判型と価格が作家の経済状況といかに関係していたかなどといった点である。処世下手なボードレールの物語は、とくに哀れで印象深いものだった。
 後半は主に詩に関してであり、ルメール書店と『現代パルナス』に集った詩人たち(3章)、ヴァニエ書店とヴェルレーヌ、および象徴派の詩人たち(4章)との交流が綴られている。詩は売れない、詩人は食えない職業であることが自明だった19世紀後半に、彼らの詩集の出版をビジネスとして成立させることによって、いわば一時代の文学運動の成立を可能とした、この二人の出版人の功績はなるほど特筆に値しよう。
 巻を通して、一から十まで知らなかったことばかり。19世紀フランス文学に関心を持っている者であれば、へー、ほーと感心している間にあっという間に読み終えてしまうこと必至である。「文学の場を構成する不可欠のパーツである出版者たちの役割を看過して、文学の歴史を語ることは絶対に不可能である」(11頁)という「プロローグ」の言葉も決して誇張ではないと言えるだろう。
 なお、本文に一切注釈をつけず、一般書としての体裁に拘ったのは広く読者を迎えたいという配慮として頷けるが、しかし文献目録までつけないという選択は、私としては残念に感じるところではあった。
 以上、駄文ご容赦願います。


 『ミッション・クレオパトラ』がアステリックスの映画とは長いこと知らなかった。フランスでの興行成績は今でも歴代11位というぐらいに売れたらしい。大勢の人が一生懸命に馬鹿馬鹿しいことをしているのを見るのはいいものだと思う。平和の証であるし。


 最後に、いつものように脈略のない引用を一つ。

野崎 (略)フランス革命は、それまでの伝統を真っ向から覆す非常に暴力的な革命でした。ルイ十六世やマリー・アントワネットの斬首をはじめとする血ぬられた惨劇の、そのトラウマがいまでも残っているような気がします。でも同時に「人権宣言」の正しさ、美しさを誇る意識もフランス人の中には脈々とある。それこそがフランス革命の真の財産なんです。我々フランス語の教師も教室で「人権宣言」を読むと元気が出るし、「自由」「平等」「博愛」と一つひとつの単語が輝いている感じを受ける。皮肉なことに、文章そのものが革命で否定したフランス古典主義のエッセンスという感じがするのです。当時の識字率は四〇パーセントに達していなかったようですから、普通の労働者たちには「人権宣言」は読めない。読んで聞かせてもらうことが多かったのでしょうが、フランス語として非常に美しい。革命精神の真髄を語る古典主義的な美しさという矛盾は、フランス語の宿命かなという気がします。
野崎歓×沼野充義「「美しいフランス語」の行方」、『やっぱり世界は文学でできている』、光文社、2013年、81頁)