えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

「ローズ」、あるいは女の欲望/「抵抗せよ」

『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』表紙


 「ローズ」(1884)は初読時には面白く読めるが、再読、三読時にはあれこれと弱さが目につく作品である。合理性や本当らしさに欠けるのは否めまい。

 冒頭はカンヌの花祭りにおける花合戦の情景が描かれているが、プレイヤッド版の注釈によれば、1884年には1月24日に行われており、この短編の初出は『ジル・ブラース』1月29日付であるから、これは完全な時事ネタであった。主題となる事件がいかにも三面記事的なことと合わせて、これはモーパッサンが新聞という媒体に見事に適合する中で書かれた「新聞小説」の一例と言えるだろう。

 その主題であるが、ここでモーパッサンは、「欲望されることを欲望する」という女性の欲望のありように注目している。本作の主筋は、女主人が何もかもを任せていた小間使いになりすましていた男が、実は婦女暴行犯にして脱獄囚だったというものである。そのような男に着替えも任せていた(そして自分は無事だった)ということに、女主人は「屈辱を受けたよう」に感じる、というところが肝であり、そのような際どい主題を新聞紙上で取り上げてみせたところに作者の「大胆さ」を指摘してよいかもしれない(あくまで当時の視点に立っての話だが)。

 しかしながら、女性二人の対話を描き(その中で上記のような告白をさせてい)ながら、モーパッサンが次のように書く時、

「ほんとうよ。じゃあ、わたしの経験した奇妙な出来事をお話しするわ。そんな目に遭うと、女の心というのがいかに不可解で、不思議なものかってことが、よくわかるんじゃないかしら」

(『脂肪の塊・ロンドリ姉妹』、太田浩一訳、光文社古典新訳文庫、2016年、154頁)

  ここには「眺める男性」の視点が露わになっているようであり、そのことが私にはいささか気にかかるのである。テクストは、誰が誰にむけて語っているのだろうか?

 それとも(やはり)「女の心」は女にとっても時に謎であるのだろうか?

 

 2015年、フランス・ギャル作のミュージカル Résiste 『抵抗せよ』の公演が行われた。ミッシェル・ベルジェ作詞作曲の歌曲で構成されたもの。そのタイトル曲のクリップ。

www.youtube.com

Résiste

Prouve que tu existes

Cherche ton bonheur partout, va,

Refuse ce monde égoïste

Résiste

Suis ton cœur qui insiste

Ce monde n’est pas le tien, viens,

Bats-toi, signe et persiste

Résiste

("Résiste")

 

抵抗しなさい

あなたが存在していると証明しなさい

至るところに幸福を探しなさい さあ

このエゴイスティックな世界を拒みなさい

抵抗しなさい

あきらめない自分の心に従いなさい

この世界はあなたのものじゃない さあ

戦いなさい 署名し、続けなさい

抵抗しなさい

(「抵抗せよ」)

  文学にかじりつくことは、功利主義的な世の中に対する「抵抗」の方途だと、そんなことを内心密かに思っていた20代の頃のことを、このビデオを観ていてふと思い返した。時は流れるものだ。否応もなく。

 

最後に、脈略のまったくないわけでもない引用を一つ。

 私たちは現実の「私」のままでは、物語の中に踏み入ることができない。むしろ、物語を読むことの最大の愉悦は、私たちが「それと知らずに」、私自身であることを止めて、登場人物に「憑依」されてしまうことによってもたらされる。

 初老の男性である私が、それにもかかわらず『あしながおじさん』を読みつつ、ジェルーシャの身になってジャーヴィーとのやりとりにときめくことができるのは、読みつつある私が少女であることの愉悦を身体的に実感しているからである。テクストを読むということは、そのように違法なほどに想像的でありながら、リアルに身体的な経験である。

内田樹『女は何を欲望するか?』、角川oneテーマ21、2008年、74頁)