えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

BD版『セルジュ・ゲンズブール』/「唇によだれ」

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 フランソワ・ダンベルトン原作・アレクシ・シャベール漫画、『セルジュ・ゲンズブール バンド・デシネで読むその人生と音楽と女たち』、鈴木孝弥訳、DU BOOKS、2016年を読む。

  ゲンズブールの伝記としては先にジョアン・スファール監督の Gainsbourg (Vie héroïque)ゲンズブールと女たち』(2010)があって、漫画で取り上げられているエピソードの多くは映画とも共通している。はじめは画家を志すがやがてシャンソンに乗り出すも、左岸派シャンソンが売れず、イエイエで一山当てたところから、破滅的な道のりが本格的に始まってゆく。ブリジッド・バルドー、ジェーン・バーキンとの交際、ロック、レゲエ、(売れない)映画等々と続き、バーキンと別れた頃からどんどんと汚れてぼろぼろになり、最後は肝硬変を患い、心臓発作で62歳で亡くなるまで、目まぐるしくもスキャンダラスでありつづけた、実に見事な生涯である。

 漫画はそうした波乱万丈な生涯を丁寧に辿ってゆくが、随所に漫画ならではの表現を織り交ぜながら、品よくスタイリッシュに纏めあげている。ゲンズブールをはじめとした人物が皆、本物と実によく似ているのであるが、だんだん薄汚れていくところもしっかり表現されているところが素晴らしい(褒めるところなのか)。なんでも限定1,500部ならしいけれど(普段1,500部も刷ったら凄いという世界に棲息している者にとっては驚くばかりだが)、没後25周年を経た現在、ぜひとも多くの若い人にも、この希代の傑物を発見してほしいと思う。

 セルジュ・ゲンズブールのような人物はいかにもフランスにしか登場しえないだろうと思われる大きな理由が、私の考えでは少なくとも2点ある。一つはこの国に深く根づいた個人主義の価値観であり、もう一つはプロテスタント的な倫理感では許容されないような放縦を許してしまう、なんというのか一種の社会道徳の「緩さ」である。いや、結局のところこれは同じ一つのことなのかもしれない。とはいえさしものフランスにおいても、このような無茶苦茶な人は今後はもう現れることはないだろうか。

 ゲンズブールの歌は、ナチ・ロックの頃より後はなんだか難しくて、私には正直よく分からない。しかしイエイエに行く前の60年代前半のシャンソンの、実によく出来た歌詞には深く感心させられる。試しに一曲挙げてみよう。1960年、映画のおかげで最初のヒットになったという「唇によだれ」。スイスの放送局RTSのアルシーヴより(もうこの頃から煙草を吸っている)。

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Laisse-toi au gré du courant

Porter dans le lit du torrent

Et dans le mien

Si tu veux bien

Quittons la rive

Partons à la dérive

("L'eau à la bouche")

 

流れに身を任せて

急流に運ばれればいい

そして僕のベッドで

お望みなら

岸辺を離れよう

成行き任せに漂流しよう

(「唇によだれ」)

 ごく何気ない曲だけれども、lit の語に「川床」と「寝床」の両方の意味があることを利用した言葉遊びによって、詩的かつ官能的なイメージが鮮やかに浮かび上がる(日本語にはとても表せない)。そもそもここで水のイメージが出てくるのは「よだれ」として使われるeau 「水」 からの連想としても自然であるし、「唇」の語が曲の最後で「僕」から「君」へ移って締められるところも実に綺麗である。こういうのがつまり「文学的」というものであろうが、いやもうまことに言葉の達人である。

 というわけで柄にもなくゲンズブールについて語ってしまった。ご容赦願います。