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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

BD『オリエンタルピアノ』/ジュリアン・ドレ「崇高にして無言」

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 こんな作品にいち早く目を止めて、翻訳・紹介できたらきっと誇らしいだろうと、そんな風に思わせる作品が時々あるものだが、この

ゼイナ・アビラシェド『オリエンタルピアノ』、関口涼子訳、河出書房新社、2016年

は、私にとってまさしくそうした一冊である。予備知識ほとんど無しで読み始めたのだが、気がつくと虜になっていて、夢中で読み通した。この鮮烈な衝撃はマルジャン・サトラピの『ペルセポリス』以来のものだと言いたいが、しかしこの作品は決してサトラピの二番煎じではない、ということは強く言っておかなければならない。

 舞台はレバノン。(著者とほぼ同人物と思わしい)語り手の曽祖父にあたる、アブダッラー・カマンジャと、語り手の人生とが交互に語られるという構成になっている。アブダッラーは幼いころから音楽が好きで、父の反対を押し切ってベイルートに上京、ピアノの調教を仕事にするようになるが、ピアノによって中東音楽に特有の四半音(四分音)を出すための工学的な解決法を探しつづける。そして遂にその問題を解決し、ペダルを踏むことで四半音を出すことができるピアノを開発し、ウィーンのピアノ会社に売り込みに行く。それが1959年のことで、作品はそこから始まっている。

 一方、物語の語り手(著者自身は1981年生まれ)は、幼い頃からアラビア語とフランス語のバイリンガルとして育ち、ベイルートで勉強した後、2004年にパリに移住し、十年後にフランス国籍を取得するに至る。レバノンにいた時点では、二つの言語は編み物の縦糸と横糸のように(あるいは二種類のミカドの棒のように)分かち難く混ざり合っていたが、フランスに来た後にはそれをより分ける作業が必要となり、そうした経験の中で、自分にとっての二つの言語の意味を確認していくことになる。

 オリエンタルピアノとは言うまでもなく、西洋と東洋という二つの世界を結びつけるものの象徴である。つながりのないはずの二つの世界がつながる場所。著者は、この曽祖父の発明品の内に、二つの世界に生きてきた自分自身の姿を投影する。平均律と四半音、フランス語とアラビア語。双方と共にあり、両方を慈しみながら生きることこそが、自らのアイデンティティーであるということを語り手は学んでいく。「オリエンタルピアノであるということは、パリで窓を開けて海が見えないかなって思うこと」という作中の言葉は、しなやかであたたかく、美しい。

 オリエンタルピアノは多くの歌手にも高く評価されるのだが、結果的には生産に至ることはない。時代が進んでシンセサイザーが登場すると、それによって四半音が容易に出せるようになることで、オリエンタルピアノはもはや不要なものとなってしまうのである。その意味で言えば、カマンジャの夢は挫折に終わったとも言えるはずだが、しかしこの物語が決して暗いものにならないのは、自らの音楽を愛しつづけた人物として、著者が彼の人生を肯定しているからである。

 マルジャン・サトラピと同じように、アビラシェドの絵も、奥行きのない平面的な画面であり、白黒の二色のみで濃淡はなく、その分ベタの黒色が印象的な絵柄となっている。日本の漫画と根本的に異なっているのは、動き、そして時間の表現であろう。日本の漫画のように動線で動きを示すことはまったくないため、基本的に画面は静止しているのだが、その代わりに、コマ送りの画面構成や、一つのコマの中に同じ人物を繰り返し描く、いわゆる異時同図法によって、時間の中にある動きが巧みに表現されている。

 その延長として、音符などの特定の事物を無限に反復して描くことで独特の効果をあげている場面もあり、圧巻は折り込み頁で描かれたオリエンタルピアノを初披露する場面だろう。そこではどこまでも続くピアノの鍵盤が描かれているのだが、そのピアノが平均律の時はまっすぐに、四半音の時には「腰を軽く振るように」波打って描かれる。音楽が見事に空間的に表現されていて、とくに印象的な場面となっている。

 全体を通して、丁寧に描かれた絵柄と、白黒の色の使い方の巧みさが素晴らしく、一頁全体を一コマで描いた頁では、そのはっとさせるような構図や表現が目を引いて飽きさせない。大胆であると同時に繊細でもあり、素朴であると同時に洗練されてもいる。言うまでもなく、作品の主題である西洋と東洋の融合は、この絵の内にまさしく実現しているのである。

 蛇足ながら付け加えておけば、この作品ではレバノンの内戦についてはごく部分的にしか触れられていない。あえてそこには触れずに、ほのぼのと暖かい物語として語り通すことこそが、自らのルーツとアイデンティティーを確認し、承認するというこの作品には適っていたのだろう。決して肩肘張ることなく、微笑みを浮かべている著者の顔が見えるような、そんな優しさに満ちたこの作品、洋の東西を問わず、文学、音楽、美術のいずれかに関心のある人すべてに、自信を持って一読をお勧めしたい。

 

 最後に、Julien Doré ジュリアン・ドレをもうひと押し。『&~愛の絆』より "Sublime & silence"「崇高にして無言」。南仏のカマルグで撮影されたこのPV、大真面目に馬鹿馬鹿しくて、なんだかよく分からないけれど、どうやらそのよく分からないところが味わいらしい。

www.youtube.com

Mais je sais que tu restes
Dans les fleurs que j'te laisse
Après la nuit
Violence & promesses
C'est tout c'que tu détestes
La mort aussi

Le vide aurait suffi
("Sublime et silence")
 
分かってるさ きみは
夜が明けても
僕が残してゆく花のなかに居続けるって
暴力と約束
これが きみの大嫌いなものすべてさ
死も嫌がってるね
 
むなしさは充分味わっただろうに
(「崇高にして無言」、大野修平訳)