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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

BD『星の王子さま』/パトリシア・カース「アデル」

BD シャンソン・ヴァリエテ

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 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ原作、ジョアン・スファール作『星の王子さま』、池澤夏樹訳、サンクチュアリ出版、2011年(2015年第2刷)

 今さら言うまでもなく、『星の王子さま』の原作には著者サン=テグジュペリ自身の手になる挿絵が添えられており、それが作品のイメージを決定すると同時に魅力的なものにしているのである。であるから、その『星の王子さま』を改めて漫画化しようというのは、いかにも無謀な試みに思えるに違いない。しかし結果から見るならば、この試みは十分に成功していると言えるだろう。

 ジョアン・スファールはフランスではすでに著名なBD作家であり、作品の数も多い。その個性的な絵柄は、サン=テックスの静的な絵柄とは反対にたいへんに動的なもので、まったく対照的である。その対比の生み出す予想外の新鮮さが、まず注目に値しよう。

 このスファール版の『星の王子さま』が成功しているとすれば、その理由の第一は、このダイナミックな絵によって表わされる王子さまのキャラクターの内にある。「今までで一番、元気で子どもらしい」と帯にあるが、実際、この王子さまは子どもらしく辺りを駆けまわり、(サンテックスによく似た)語り手の操縦士に甘え、笑い、そしてとりわけよく泣く。王子さまが真面目な人柄であり、大人びた性格の持ち主であることは原作と変わらないが、こちらの王子さまは感情の起伏が明確で、喜怒哀楽をはっきりと表にあらわす。とりわけ物語の末尾のあたり、王子さまは別れの悲しみ、そして死に対する恐怖を強く抱く。原作の主人公が恐らくは内面に抑えていただろう感情を、作品は読者により直接的、より明示的にはげしく伝えてくるのである。

 そしてもう一つのポイントは、語り手の操縦士の存在である。原作では挿絵にも姿を現さない「ぼく」だが、ここではサン=テックスと思しき中年男性として描かれている。はっきり言えば頭の禿げあがった冴えないおじさんなのであるが、しかしこの中年男が王子さまと一緒に笑い、そして涙を流す姿を見ている内に、我々は、彼がまさしく「子ども」の心を保持しつづけた「大人」であることを理解するに到る。その時、彼が冴えないおじさんの姿であるからこそ一層に、我々は彼の姿に感動を誘われるのである。恐らくそこでは、原作の語りを通しては見えにくかったものが可視化されている。

 この二人の人物によって語り直された『星の王子さま』は、したがって原作よりはるかにエモーショナルなものとなっており、感情を素直にさらけ出す二人の「子ども」の姿が、読者の内に、原作とは違った形で、恐らくはよりストレートな感動を掻き立てるだろう。その意味で、これは「訳者あとがき」に言われるように原作の一個の「解釈」であり、「ある意味では深読み」なのであるが、そもそもそうでなければ漫画化をする意味などありはしないだろうし、この「解釈」には十分な説得力が備わっている。

 この作品を読み終えた後で、我々は原作の描く王子さまの性格や、その物語について改めて思いを馳せることになる。著者自身の挿絵が作品の理解に大きな影響をもっていたことにも気づかされるに違いない。ジョアン・スファールという強烈な個性による「解釈」を経験した後で、もう一度、自分自身の目で王子さまの姿を確かめたくなるだろう。

 いかに優れているとはいえ、スファール版はサン=テックスの原作が存在する上でのものであり、それを抜きに独立しているとは言い難い。それは事実である。しかし読者をもう一度原作へと誘う強い力を持っているならば、それは原作へのオマージュとして最高のものであると言えるだろう。原作に愛着を抱く人にはなかなか受け入れがたいかもしれないし、強要する気もさらさらないけれど、スファール版『星の王子さま』、一読の価値は十分にあると思う。その読書体験はなかなか他に例のない、不思議なものであるはずだ。

 

 パトリシア・カースってまだやっていたの、とか言ってはいけない(私のことだが)。2016年、10枚目のアルバムはずばり Patricia Kaas 『パトリシア・カース』。その一曲めの "Adèle" 「アデル」は、若い女性への応援歌。

www.youtube.com

Ce sera deux fois plus dur que les autres
Mais deux fois plus forte tu l'es, t'inquiète pas
De soutien tu n'auras que le nôtre
Mais ça suffira, ça suffira
("Adèle")
 
他の者たちの倍もきびしいでしょう
でもあなたはその分だけ強いのだから 心配しないで
支えになるのは 私たちしかいないけれど
でも それで十分なの 十分なのよ
(「アデル」)