えとるた日記

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BD『ペルセポリス』第1巻/ヴァンサン・ドゥレルム「僕は今晩死にたくはない」

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 マルジャン・サトラピペルセポリスI イランの少女マルジ』、園田恵子訳、バジリコ株式会社、2005年(2014年第8刷)

 原作(1, 2巻)が2001-2002年に刊行された時は、ラソシアシオンという独立系出版社による刊行、(従来のフルカラーとは違う)白黒の画像、著者が女性であり、移民であること、そしてシリアスな自伝的内容が語られていることなどのすべてが、BDの世界において新しいことだったので、『ペルセポリス』の登場は新鮮な驚きをもって迎えられたのだった。

 それから15年が経ち、現在では当時新しかったことがかなり一般化してきたようだが、そこで改めてこの作品を読み返すと、作品の持つ普遍的な面に一層目が向くようになったように思われる。

 著者は1969年にイランのテヘランに生まれる。本書(日本語版)第1巻においては、70年代後半に反体制派の運動が激しくなる頃から、79年のイスラム革命を経て、イラン・イラク戦争が激化してゆく中、マルジャンが故国を離れてオーストリアに旅立つ84年までの出来事が描かれている。およそ10歳から14歳までの過去が回想されるのだが、その中で、マルジャンはたくさんの者の死に直面する。

 アフマド・シャーを曽祖父に持つという著者の一家は上流階級に属しており、西欧的な価値観を信奉する人たちである。両親は反体制派のデモにも積極的に参加し、モハンマド・レザー・シャーの国外逃亡を歓呼で迎える。投獄されていた共産主義者の親戚・友人たちも釈放されるが、やがて彼らはイスラム政権によって再び逮捕され、処刑されることになる。政府による抑圧・弾圧が増していく中で命を落とす者があり、さらにイラクとの戦争が始まると、戦場で若者たちが亡くなり、爆撃によって多くの市民もが犠牲となる。いやはやまったく、ため息つくしかないような厳しい歴史が、著者による素朴な雰囲気を漂わす絵によって淡々と語られてゆく。

 ここには、激動の時代に生きる人々の具体的な姿が、一人の少女の目を通してしっかりと眺められ、記録されている。その人々が、厳しい状況の中においてもしたたかに生き、笑いやユーモアを忘れずに暮らしつづけているということが、この全編を通して重苦しい物語にさわやかな風を送り込んでいて、そのことに読者は救われる思いを抱きもするだろう。厳格な社会規律が要求される中でも、人々は密造酒を作り、夜にこっそりパーティーを開く。トルコへ旅行した両親が、娘への土産のポスターをコートの裏地に縫い付けて税関を通り抜けるエピソードなどは、とくに印象深い。

 西洋的な個人主義に深く染まり、自立心に富むが故に反抗的なところもある14歳の娘の身を案じて、両親はマルジャンをウィーンへ送り出すことを決意する。時にはわがままをきいて甘やかしたり、時には厳しく𠮟りながら、いつでも娘のことを信じつづける両親と祖母の存在が、この物語に温かみをもたらすもう一つの要素である。これは、親の愛に守られることによって、過酷な世界を生き延びることができた一人の娘の物語である。そしてそこに、歴史の個別性を越えて、この物語が普遍性的な価値を持つ理由があるだろう。

 間違ったり、傷ついたりを繰り返しながら、マルジャンは成長し、この世界と人間とを理解してゆく。狂気が蔓延する世の中にありながら、それでも正気を保ちつづけるための勇気を持つようにと、この作品は我々に訴えかけてくるのである。

 

 Vincent Delerm ヴァンサン・ドゥレルム の2016年のアルバム À Présent 『今は』。Les Inrocks のChristophe Conte によると、「傑作と呼ぶのに一秒もためらう必要はない」とか。なるほど。"Je ne veux pas mourir ce soir"「僕は今晩死にたくはない」。

www.youtube.com

Je ne veux pas mourir ce soir

Je ne veux pas mourir

("Je ne veux pas mourir ce soir")

 

僕は今晩死にたくはない

僕は死にたくない

(「僕は今晩死にたくはない」)