えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

BD『タンタン ソビエトへ』カラー版/ザジ「私はそこにいた」

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 2017年はロシア革命100周年にあたるが、それを記念して(?)『タンタン ソビエトへ』がフルカラーとなって刊行された。

Hergé, Les Aventures de Tintin reporter chez les Soviets, Casterman, Editions Moulinsart, 2017.

 タンタンの冒険シリーズの最初の作品である『タンタン ソビエトへ』は、1929年にベルギーの新聞『20世紀』の子供向け付録に連載(この時エルジェは21歳)、翌30年に刊行された。しかし初版が品切れとなった後、この作品は長い間表に出ることがなかった。戦後の50年代に、エルジェは白黒で描いた初期作品を再び取り上げ、カラー作品に直して世に出し、その際にこの最初の巻にも手をつける考えはあったようだが、結果的にそれは見送られた。その後、エルジェ自身はいわば「歴史的資料」として初版のままの再刊を考えるようになるが、その際には出版社のカステルマンがこれを阻む。ようやく1973年に、「アルシーヴ・エルジェ」叢書の一冊として再刊され、1999年より「タンタンの冒険」シリーズに加えられることとなったという(以上はPhilippe Goddinの序文による)。

 そういう訳でこの最初の巻だけは現在まで初版の白黒のままだったわけだが、それがこのたびカラー化されての出版となった次第だ。なお、通常のアルバム版と、序文のついた豪華版との二種類が存在する。

 『20世紀』はカトリックを標榜する新聞であり、当時のカトリック教徒にとって宗教を蔑ろにするソヴィエトは許すべからざる国だった。その新聞の方針をそのまま反映させたこの『ソビエトへ』の内容は、端的に言えば「反共プロパガンダ」である。新聞の特派員タンタンはモスクワ訪問に出発するが、彼の存在を好ましく思わないソ連側は、彼を捕えようとあの手この手の限りを尽くす。モスクワまでからくも辿り着いたタンタンは、共産主義社会の悲惨な「実態」を目撃し、G. P. U.(ソ連の政治警察機関)がヨーロッパで企むテロ計画を暴き、晴れて英雄としてブリュッセルに凱旋するのである。

 その筋書きは単純であり、もちろんエルジェが実際にソ連に行ったわけでもなく、ソ連批判はごく皮相的なものに過ぎない。その一方で、ここに繰り広げられるタンタンの冒険は、まさしく007やインディー・ジョーンズをはるかに先取りするかの如くのもので、次から次へとアクションを展開させてゆく作者の腕前は、この時からすでに見事に発揮されていると言えるだろう。汽車に始まり、自動車、モーターボート、そして飛行機と、タンタンは次々に乗り継いでゆくのだが、スピードに魅せられたかのその姿は、まさしく20世紀の申し子の観がある。ところで、そう述べてみて思い出すのはモーリス・ルブランのアルセーヌ・リュパンであり、20世紀前半の大衆的想像世界の表象として、リュパンとタンタンを並べてみることもあるいは可能かもしれない。いずれにしても『タンタン ソビエトへ』は1930年という時代の証言として、アクション漫画の原点として、今読み直してもいろいろと興味深い作品であることは確かだろう。

 エルジェ本人が行わなかったカラー化について言えば、ファンにすればきっと賛否両論いろいろあることだろう。私個人の感想としては、その結果は予想をはるかに超えて「自然」なものだと感じられた。カラーになることで現行の他の巻との近接性がはっきりと目に見えるようになったことは意外な発見だったとも言えるし、元の白黒の画面よりはるかに見やすくもなっている。ともあれ、これはあくまで後世の人の仕事ではあるわけで、そう簡単に受け入れてしまっていいのだろうかという思いが、いささかなりと捨てきれないのも事実ではある。

 しかしまあ、まさかと思うようなことを人は考えるものだ。

 

 Zazie ザジの2007年のアルバムは Totem『トーテム』。その中から "J'étais là"「私はそこにいた」を。

www.youtube.com

J'étais là.

Et je n'ai rien fait.

Et je n'ai rien fait.

("J'étais là")

 

私はそこにいた

そして私は何もしなかった

そして私は何もしなかった

(「私はそこにいた」)