えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

名前の問題:Romuald/ヴィアネ「パ・ラ~君がいない~」

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 久し振りにゴーチエ『死霊の恋・ポンペイ夜話 他三篇』、田辺貞之助訳、岩波文庫、1982年の内の「死霊の恋」を読み返す。

 神学生が僧侶になる儀式の最中に絶世の美女に一目惚れ。僧職に就くも鬱々として思いは晴れないでいるところ、件の遊女クラリモンドが臨終の際にあることを知らされ、彼女の屋敷に駆けつけると、すでに彼女は息絶えたところだった。しかし、その通夜の最中に一瞬息を吹き返した彼女は、再会を約束してふたたび息絶える……。というその筋では比較的有名な幻想小説の佳品であるが、それはそうとこの翻訳では主人公の名前は「ロミュオー」となっている。しかし原文を見ると綴りはRomuald である。これでロミュオーと読むのは無理だと思われるが、これはどういうことだろうか。

 そこで気になって懐かしの『怪奇小説傑作集4』青柳瑞穂・澁澤龍彦訳、創元推理文庫、1969年(1979年24刷)を開けてみる。さて「死女の恋」青柳瑞穂訳ではどうなっているかというと、「ロミュアール」とある。なるほど。今なら「ロミュアル」とするのが穏当だろうか。

 せっかくなので他にも翻訳はないだろうか、と思って探してみると、野内良三編訳『遊女クラリモンドの恋 フランス・愛の短編集』、旺文社文庫、1986年というのもある。そこで、そのタイトル作を見てみると、主人公の名は「ロミュアルド」となっていた。うーむ、この語末の d は読むのか、読まないのか、どっちなんだろう。どちらの場合もあったりして。

 まあいずれにしても、田辺貞之助はRomuaud か何かと誤読したのではないかと疑われるのであるが、しかしこんなのは揚げ足取りの類かもしれない。

 そのロミュアル(ド)は、昼はしがない僧侶の暮らし、そして夜には夢の中(?)で絶世の美女とともに放蕩三昧の暮らしを送るようになる。要するにそこに繰り広げられるのは作者の願望そのままの理想の世界であり、その欲望とは、とことん現世的なものである。

 それはそうなのだが、しかしその相手が死から蘇ったものであったり、あるいは「ポンペイ夜話」では遥か昔に実在した女性との再会であったりするのであって、そのように非現実の幻想を介在させる時に、本来はとことん現世的な欲望であるはずのものが、一気に人間的尺度を突き抜けて、現世では実現不可能な「純粋な理想」への希求へと姿を変える(恐らくは)。ゴーチエの見せる絶対的な美と快楽の追求というエドニスム的姿勢の内には、実は「人間的条件」を拒絶したいというあえかな願望が秘められているのかもしれず、そこにこそ、この拍子抜けするような楽天的な物語になぜか読者が惹かれてしまう理由があるのかもしれない……、というようなことを思ってみた。

 

ヴィアネ Vianney『君へのラヴソング』(2017)。オリジナルはファースト・アルバムのIdées blanches (2014)。その中から一番のヒット曲 "Pas là"「パ・ラ~君がいない~」。

www.youtube.com

Mais t'es où ? Pas là...

 

Je te remplace

Comme je le peux

Que tout s'efface

J'en fais le voeu

Ce sera sans toi alors

Je n'ai plus qu'à être d'accord

("Pas là")

 

君はどこ? ここにいない……

 

君の穴埋めしなきゃ

ぼくにできることで

ぜんぶ消えてしまえ

そう念じてる

君はもういないから

認めるしかないから

(「パ・ラ~君がいない~」翻訳:丸山有美)