えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『時制の謎を解く』/ジョイス・ジョナタン「今時の女の子たち」

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 フランス語には時制が多い。それは確かに認めざるをえない事実だ。複合過去に半過去に大過去に前過去があって、前未来ってなんだっけ……、というのは学習者が一度は通らなければならない道だろう。

 それにしてもなんでこんなに多いんだ、と多くの人が一度は疑問に思うに違いない。しかし、そんな根本的な大きな問題に、いったいどうやったら答えられるだろう。そんなことをくどくど考えるよりも、とりあえずあるもんは覚えるより仕方あるまいと、ため息をつくばかりだった人もいるだろう(いやまあ、私のことだ)。

 ところが、どっこい。そんな根本的な問いに、しっかりと答えてくれる本が登場した。

 井元秀剛『中級フランス語 時制の謎を解く』、白水社、2017年

 これは実に明快に、フランス語の時制の「謎」を解き明かしてくれる本だ。その目次を見れば、どのように話が進んで行くかが簡明に見て取れる(ところも素晴らしい)。

 第1章 時制をめぐる謎

 第2章 謎解きの道しるべ

 第3章 さまざまな時制の謎を解く

 第4章 半過去の謎を解く

 第5章 日本語や英語からみたフランス語の時制

 第1章では(普段あまり意識していない)時制をめぐるさまざまな「謎」が提示され、なるほど言われてみればあれこもこれも気になる(でも自分ではうまく説明できない)ものばかり。改めて、フランス語の時制の奥深さを思い知らされる思いがする。

 たとえば半過去の使用例では、モーパッサンの『女の一生』も挙がっている。冒頭近く、ジャンヌの一家が馬車でレ・プープルの屋敷に着いた場面だ。

Cependant on s'arrêta. Des hommes et des femmes se tenaient debout devant les portières avec des lanternes à la main. On arrivait.

(そのうち馬車が止まった。下男や下女たちが手に手に灯りを持って、馬車の昇降口の前に立っていた。到着したのである。(新庄嘉章訳))(13頁に引用)

最後の「到着した」はすでに動作が完了しているのに、ここでは半過去(未完了)が使われているのは、一体なぜなのか。うーむ。

 さて、そうした謎を解くために、第2章では「メンタルスペース理論」によって各時制の記述が行われる。時制とはつまり、基点となる時点 (BASE) にもとづいて、出来事 (EVENT) を記述する際に、どの視点 (V-POINT) から、どの時点に焦点を当てて(FOCUS) 見るか、という話であり、この4つの要素が時間軸のどこに置かれるかという組み合わせの問題なのである。さらに言えば、どの要素を重視するかには言語によって差異が存在するということでもある。

 この「メンタルスペース理論」による説明は大変に明快で無駄がなく、説得力のあるものだ。この章の説明をしっかり理解できれば、第3章、そして半過去に特化した第4章において、第1章で挙げられていた「謎」が次々に論理的に説明されていくことに心地よささえ覚えることができるだろう。

 しかも話はそこに留まらず、第5章では言語の基本的な特性として「外側から描く」Dモード、「内側から描く」Iモードという概念が導入される。日本語が典型的なIモード、英語がDモードの言語である時に、フランス語はDモードでありつつもIモード的な要素を持っている、いわば日本語と英語の中間に位置する言語だという。そして、この根本的な言語の性格によって、最初にして最大の問い「なぜフランス語には時制が多いのか」の答が、最後に導かれることになる。

 なお、本書は各課が4頁でまとめられており、段階をきっちりと追って話が進むので、たいへんに理解しやすく書かれているのも有難い。

 いや、この晴れ晴れとした読後感はなんと気持ちの良いものだろう。これまでずっと、日本語とフランス語は根本的に違う言語だと思っていたが、実はそういうのは浅はかな考えだったのだ。英語と比較するならば、フランス語の物の見方にはむしろ日本語に近い点も存在する。この、英語とフランス語を比較してみるというのが、これまでの私には完全に欠落していた視点だ。つまり、三言語を視野に入れることでこそ見えてくるものが確かに存在するということを、私は同時に学ぶこともできたと言えるだろう。

 その意味において、本書は「外国語の学習は2言語以上学んでこそ真価を発揮する」という理論の、最上の実例を提示するものであるかもしれない。

 なにはともあれ、20年前に書かれていてほしかった、と思ってしまうような、これはそんな素晴らしい本でした。

 

 ジョイス・ジョナタンJoyce Jonathan の2016年のアルバム Une place pour moi『私のための場所』の中から、ヴィアネ Vianney とのデュオで、"Les Filles d'aujourd'hui" 「今どきの女の子たち」

www.youtube.com

On s’rend débiles
D’amour un temps
On se défile
Pourtant
Avant d’écrire
Le jour suivant
Mais volant de ville en ville, vivons-nous vraiment ?
Mais volant de ville en ville, vivons-nous vraiment ?
("Les Filles d'aujourd''hui")
 
一時は 恋のおかげで
バカになる
でも
逃げ出してしまう
次の日を
記すより前に
でも町から町へと飛び移って、私たちは本当に生きているのかしら?
でも町から町へと飛び移って、私たちは本当に生きているのかしら?
(「今時の女の子たち」)