えとるた日記

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映画『女の一生』(ステファヌ・ブリゼ監督)鑑賞報告

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映画『女の一生』オフィシャルサイト

 

 12月9日(土)より岩波ホールなどで公開される、ステファヌ・ブリゼ監督『女の一生』を試写会にて鑑賞。その感想を記しておきたい(というのはつまり宣伝と無縁ではないと、前もって記しておこう)。

 この映画の第一の特徴は、アスペクト比1.33対1という(一昔前のテレビのような)正方形に近い画面が選ばれており、手持ちカメラで撮影されている点にあるだろう。クローズアップが多用され、しばしば人物の顔や身体が枠をはみ出し、それによって画面の狭さが一層強調されている。観客は、ある種、窃視しているような感覚に捕われることもあるかもしれない。そのような撮影方法の結果として、人物との距離がとても近く感じられ、そこから親密さが生まれる場合もあるが、それ以上に息苦しさを感じさせもする。それが主人公ジャンヌの捕われた(家族という)狭い世界を象徴的に示すものであることは、容易に理解されるだろう。手持ちカメラによる揺れる画面は、その世界の不安定さを意味している。

 主人公のジャンヌは、18歳で寄宿学校を出て、ノルマンディー沿岸のレ・プープルと呼ばれる屋敷に身を落ち着ける。そこで最初に出会った青年ジュリアンに恋心を抱くと、すぐに結婚が決まる。身寄りのないジュリアンと共にレ・プープルでの暮らしが始まるが、その時から彼女を待っているのは、人生に対する失望と絶望の日々である。主人公役のジュディット・シュムラ(1985-)は、疑うことを知らない純粋さを保ち続ける女性としてのジャンヌを実によく体現していたと言ってよいだろう。下心を持たずに他者を信頼するジャンヌは、それゆえにこそ、次々に夫ジュリアン(スワン・アルロー)、友人、母親(ヨランド・モロー)、息子に裏切られることになる。

 さらに、ジャンヌの運命を決定的に追いつめるのが、二人の対照的な神父である。一人目のピコ神父は、裏切った夫との同居に耐えられずに実家に戻りたいと願うジャンヌに対し、「許す」ことを強要し、彼女の意志を挫く。だが彼女を待っているのは新たな裏切りである。そして、夫とフールヴィル伯爵夫人との不貞を知ったジャンヌに対し、二人目のトルビヤック神父は、今度は「真実」の名のもとに、フールヴィル伯爵に事実を伝えるように命じる。そして待っているのは、決定的な破綻なのである。他者(そこには恐らくは神も含まれるのだろう)への信頼は、ことごとく仇となってジャンヌのもとに帰ってくる。それが人生の、運命の見せる残酷さなのだと、作者モーパッサンは、あるいは監督は告げているようである。

 そんな彼女は次第に過去への追憶にすがるようになるのだが、映画ではそれがフラッシュバックの多用によって表現されている。人生とは現在時だけで成り立つものではなく、思い出に耽ることもまた人生の一部であろう。コルシカへの新婚旅行や、幼い息子ポールとの戯れといった回想シーンはさんさんと降り注ぐ光に溢れる一方で、(現実の)冬のノルマンディー沿岸の光景は、どこまでも厳めしく寒々しい。だがそれは無類に美しくもある。

 この、随所に差し挟まれる美しい自然の光景が、この映画のもう一つの見所であることにも異論はないだろう。巡りゆく季節の中で、英仏海峡の海は、時に穏やかに光り輝き、時に激しい波を立てて押し寄せる。自然は過酷である。しかし人間とは違って、自然は裏切ることがないのだ。この映画では冒頭から、ジャンヌが畑仕事に精を出す場面が何度か現れる(原作では幼少時のポールの場面のみで描かれていた)が、それは、ジャンヌが自然の中の存在であること、そして自然との繋がりの内においてこそ幸福を見いだすことができる、と語っているかのようである。

 映画は原作の筋を基本的に忠実に辿っているが、しかし個々のシーンや台詞の多くは独自なもので構成されている。原作をよく咀嚼した上で、それを映画的表現に移し替える作業がしっかりと入念になされた結果であろう。そしてこの映画は、恐らくは原作以上に徹底して、主人公ジャンヌひとりに焦点を当てた作品となっている。18歳から(27年後の)45歳頃に至るまでの一人の女性の姿を、彼女の喜怒哀楽の表情と細かな仕草のすべてを、カメラは丹念に、じっくりと、時に執拗なほどまでに追い続ける。2時間を通して、まさしく彼女の〈人生〉が、それだけが丁寧に切り取られ、描かれてゆくのを観客は目にすることになる。

 もっともカメラの眼差しは優しいばかりではなく、時には辛辣な視線をヒロインに向けもする。ジャンヌが父親を相手に、自分がポールを甘やかしているのを正当化してみせたり、家の管理を助けてくれるロザリーに対して被害妄想を抱いたりする場面がそうだ。ヒロインのジャンヌは我々の前にどこまでも等身大で、とても身近な姿を見せ続けるのであり、我々はそっと寄り添うように、そんな彼女の人生を共に経験してゆくのだ。

 ステファヌ・ブリゼ監督の映画『女の一生』は、決しておざなりな文芸映画の一本ではなく、明確で揺るぎない芸術観に貫かれた、いささか実験的で、十分に繊細かつ細やかな配慮の行き届いた、すぐれて芸術的な作品である。古臭いメロドラマに陥るような罠にはまらずに、原作を見事に昇華してみせた監督の手腕と、主演ジュディット・シュムラの心のこもった好演とに拍手を送りたい、と締めくくれば、あまりに褒めすぎたことになるだろうか。

 いや決してそうではないと、今の私は自信を持って言いたい気分なのである。

 

 最後に一点補足しておくなら、2時間の中で30年近くの人生を描く以上、この映画は断片的なシーンの連続からなっており、その繋がりはいささか唐突な感を抱かせる場合も少なくない(とりわけ冒頭から前半にかけてその印象が強い)。恐らくは鑑賞前に原作に目を通しておいた方が、理解に負担が少ないだろうと思われる。岩波文庫(杉捷夫訳)、新潮文庫(新庄嘉章訳)、光文社古典新訳文庫(永田千奈訳)、モーパッサンは書店で今も健在であることを記して、稿を閉じることとしたい。