えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

バンヴィルとエッフェル塔

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 慶賀新年。本年もよろしくお願い申し上げます。

 先日、古書店で一冊の本が目に留まり「面白そう」と思って手に取って、そのまま店内をうろうろしている内に、なぜかだんだんと気になってくる。もしかして既に持っているんじゃないだろうか。考えれば考えるほどそのような気になるも確信はなく、さんざん迷った挙句に、結局は本を書棚に戻し、どきどきしながら帰宅してみると、やはりすでに購入していたのであった。いやー良かった。

 教訓、本は買っただけでは意味がない。

 まあ当たり前ではある。買った本ぐらい覚えておきたいものですね。ため息。

 さて、その問題の本が、倉田保雄『エッフェル塔ものがたり』、岩波新書、1983年、であるのだが、そういう訳で反省して、しっかりと読みました。「鉄の塔」以前に「石の塔」の計画があった(石で366メートルの塔を建てるという案で、実現していたらそれはそれで凄かっただろう)という話から始まって、建設費用が幾らとか、工事の進展具合はどうだったかとか、当時の料金は幾らだったとか、入っていたレストランはどのようだったかとか、文字通りエッフェル塔に関する蘊蓄がこれでもかと出てくる本であった。

 その中に、塔の計画が持ち上がった当初に、インテリたちの反対運動があったという話があり、そこにモーパッサンも加わっていたわけだけれども、その一方で、詩人テオドール・ド・バンヴィルエッフェル塔を称える詩を書いていた、という話が出てくる。47-48頁。なるほど、そんなことがあったのか、と驚いたので、現物を探してみた、というのが今日のお話。1890年、詩集『ソナイユとクロシェット(どちらも小さな鈴を表す)』中の、「エッフェル塔」という8音節6行詩節11連からなる作品であった。『エッフェル塔ものがたり』では一部のみの引用なので、以下に全文の拙訳を掲載。長いので原文は割愛します。

エッフェル塔

 

エッフェル塔よ、育て、さらに昇れ

光の中に、曙の中に

静かなる天空の中に

ヘカテの黒き足の間に生まれたお前

昇れ、繊細なる大輪の花よ

暗い空にお前の額を届かせよ。

 

何故なら、炎の心持つ天才が

大地をその奥底まで探索し

地獄の扉まで行き着いて

希望の育つ喜ばしき巣を

フランスのために準備しようと

その巣を鉄の枝で編むのだから。

 

そうだ、ますます巨大になれ

そしてお前の朱の鉄線に魅了され

驚く群衆たちの目の前に

現れよ、光の中に浸りながら

さながら、太陽の光がそこに

もつれる蜘蛛の巣の如くに。

 

近づく種まきの時期に

レースの網目と共に光り輝け

煌け、豪華な宝石よ

そして愛撫で魅了せよ

卓越した細工師が編む

透かし模様ある金銀細工よ。

 

巨大な翼を羽ばたかせ

お前のプラットフォームへ飛び来よう

勇敢なるタカ、また白ハヤブサ

ハゲワシや、貪婪なるワシどもが

だがこのテラスを凝視して

あまりに高すぎると思うだろう。

 

さらに昇れ、途轍もない塔よ!

紺碧に輝く海と

リビアの嵐との神が

和解して寄り集いし

バベルの集団に言うだろう

今こそ来たれ、我それを望まんと。

 

塔は育ち、その頂で

頭をもたげる、不屈なる〈人間〉は

明るい眼を大きく開いて

その日常の日々の中で

雷鳴をその腕に抱き

稲妻と戯れもするだろう。

 

何故なら、かつて貞淑、嫉妬深かった

〈科学〉は、今日〈人間〉を

夫に迎え、東洋を眺めやり

星々を覆いしヴェールを

引きはがさんと思い立ち

ほほ笑みながら、口づけをする。

 

傷つけられることも恐れず

解放者たる〈科学〉は

かつて人の目に見えざりし

鎌をその手に握りしめ

服喪の悲しみ、戦争や

大砲、死刑台を刈り取るだろう。

 

塔よ、空間に花咲く百合よ

力と優美さの巨人よ!

苦い疑念を唖然とさせて

確信と陶酔とが戻り来たるや

お前の土台を愛撫するだろう

さながら海の波の如くに。

 

そして、たじろぐ風にもかかわらず

お前を徹夜で見守る者は、灯台の傍らで

魔法のかかりし自然の中に

物音が止む神聖なる時刻において

オルフェウスの竪琴が

夜の中、星々を導くのを聞くだろう。

 

1889年1月8日

テオドール・ド・バンヴィルエッフェル塔」、『ソナイユとクロシェット』(1890)

Théodore de Banville, « Tour Eiffel », dans Sonnailles et clochettes (1890).)

 作者の人の好さがにじみ出ているような愛らしい作品であるが、塔の完成以前にバンヴィルが率先してエッフェル塔を賞讃していたというのは、興味深い事実である。これはつまり断固反対していたモーパッサンより、年長者のバンヴィルの方が進んでいたということなのだろうか? エッフェル塔を歌った詩人としてはなんといってもアポリネールが有名であり、彼の詩を読むといかにも20世紀という感じにさせられる、とこれまで思っていたが、それって案外幻想だったのだろうか? もっともバンヴィルの詩は古典的素養に溢れ、エッフェル塔という主題を除けば実に伝統的な形式に則ったものであるのは紛れもないけれど。

 なにはともあれ、以上、読書報告。一度は読んだという事実だけは忘れてしまわないように願いたい。一年の冒頭から、なんだか情けない願いだけれども。