えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『収容所のプルースト』/ミレーヌ・ファルメール「ローリング・ストーン」

f:id:etretat1850:20180225173331j:plain

 ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』、岩津航訳、共和国、2018年を読む。

 チャプスキ(1896-1993)はポーランド出身の画家・作家。戦後はフランスに滞在しつづけた。

 彼は1939年にソ連の捕虜となり、スタロビエルスク、次いでグリャーゾヴェツ捕虜収容所に送られた。同房者の大半は、後に「カティンの森事件」でソ連軍に処刑される。チャプスキは奇跡的に生き延びることが出来た一人だった。

 その捕虜生活の中で、捕虜たちは「精神の衰弱と絶望を乗り越え、何もしないで頭脳が錆びつくのを防ぐため」に、「知的作業」に取り組んだという。その事実にまず驚かされるが、本書はそこでチャプスキがプルーストについて行った講義の内容である。

 わたしは感動して、コルク張りの部屋でびっくりしているプルーストの顔を思い浮かべた。まさか自分の死後二十年経って、ポーランドの囚人たちが、零下四十度はざらに下回る雪の中で一日を過ごしたあとに、ゲルマント夫人の話やベルゴットの死など、あの繊細な心理的発見と文学の美に満ちた世界についてわたしが覚えていたことの全部に、強い関心を寄せて聞き入ることになるとは、さすがの彼も思わなかっただろう。

(ジョゼフ・チャプスキ「著者による序文」、『収容所のプルースト』、岩津航訳、共和国、2018年、17頁)

 もっともだからといって、その内容は決して悲壮感の漂うものなどではなく、しごく平静に大作『失われた時を求めて』の魅力と意義が語られている。したがって、これはとてもよくできたプルーストの入門書と言えるのだけれど、もちろん、本書はその特異な成立事情を抜きに語ることのできないものだろう。

 その意味で、本書は末尾の「プルースト、わが願い――訳者解説にかえて」があって初めて今日の日本でも意味を持つ書物になっていると言えるだろう。翻訳者に真摯に敬意を表したいと思う。

 それにしても、収容所というような絶望的な場所にあって、文学の、しかもその記憶が、人になんらかの希望を与えるということがありえるのだろうか。訳者の言葉を聞こう。

いつ解放されるのか予想のつかない苛酷な状況でチャプスキがプルーストを思い出したとき、病気のために蟄居を余儀なくされながらも死に対してほとんど無関心でいられたプルーストの姿は、大きな慰めだったにちがいない。しかも、芸術の救済を語るプルーストは、獄中のチャプスキと同じく、記憶のなかの芸術を見つめていたのだ。本書に見出されるのは、プルーストの「快楽」を語りがちな平和な批評家には見えない、死を前にした厳しいモラリストとしてのプルースト像である。本書の原題『堕落に抗するプルースト』とは、このパスカル的なプルーストのことであり、同時にプルーストのおかげで知的堕落に抵抗した捕虜たちの姿を示唆している。

(「プルースト、わが救い――訳者解説にかえて」、同前、178頁)

 文学を大切に思う者にとって、これほど力づけられる事例はそうそうあるものではないと思う。だが一方で、我が身に顧みて、もし自分がそのような場に置かれたら(想像したくもないが、しないわけにはいかない)、はたして自分にどれだけのことが語りうるのかと思うと、まことに心もとないばかりだ。

 ところで、収容所の中のチャプスキの手元にプルーストの本などあったはずもなく、すべては記憶をもとに語られたのだが、そのことは、病身で十分な資料を見ることができないながらに、記憶で膨大な文学作品の引用をしたプルーストの姿と重なる、と訳者は指摘する。

ただ、正確な書き写しが許されない状況でもなお語らずにはいられない文学こそが、その人にとっていちばん重要な問題に応えてくれるはずだ。なぜなら、読書は、本を読んでいる時間ではなく、読んだ後の人生における反映で、初めてその射程が測られるものだからだ。ジョージ・スタイナーの有名な評論の題名を引くなら、これは「人間を守る読書」の輝かしい実践例なのである。

(同前、184頁)

 まことにその通りと首肯するばかり。血肉と化した読書の経験が人を生かす力になりうるということの実例として、チャプスキが示してくれていることの意義はとても大きなものだと思う。

 最後に、これは極秘に綴られた手記ではなく、また脱走経験が語られるわけでもない。その点で多くのユダヤ人の戦争体験記とは異なる、と訳者は言う。

しかし、それでもなお感動的なのは、あれほど追いつめられた状況において、外国文学が精神の「堕落」への抵抗の根拠となったということである。それは驚くべきことである。しかし、あり得ないことではないのだ。

(同前、185頁)

  そう、あり得ないことではない。その希望を与えてくれる本書『収容所のプルースト』は、すべてのプルースト愛好家はもちろん、文学に関心(と希望と)を持ちつづけるすべての人にとって、一読する価値がある書物だと思う。

 最後に付け加えておくと、本書は、表紙の青い部分だけがカバーになっていて、つまり上部は表紙が見えている。なかなか斬新でクールな装幀が素敵です。

 

 ミレーヌ・ファルメール Mylène Farmer の新曲「ローリング・ストーン」"Rolling Stone" のPV が公開される。2018年中に新しいアルバムが出るとの噂。

www.youtube.com

Je suis de celle qui maudit
Qui compte plus quand c'est fini
Si je dis "love"
Je suis de celle qui crois en Me
All I need is Love

("Rolling Stone")

 

わたしは呪う女

終わった時にはもう数は数えない

もし私が love と言うなら

私は自分を信じる女

All I need is Love

(「ローリング・ストーン」)