えとるた日記

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『未来のイヴ』/ポム「天国から」

光文社古典新訳文庫『未来のイヴ』表紙

 いやはや、こんなに長かったっけ。

 ヴィリエ・ド・リラダン未来のイヴ』、高野優訳、光文社古典新訳文庫、2018年

は、なんと800頁を超えており、本文だけでも768頁まである。もっとも比較的短い章に区切られているし、この新訳は平易な言葉遣いで書かれているので、決して読みにくいということはないのだけれど、しかしまあ通読にはそれなりに骨が折れる。なにしろ、あちこちいろいろと訳が分からないのだ。

 本書は全六巻から成っている。第一巻「エジソン氏」は、メンロパークの魔術師たるエジソンの夢想に割かれている。彼は古代人が蓄音機をもっと早くに発明していたら、どれほど重要な歴史的出来事が録音されたことだろうかと考える。それ自体は興味深くもある発想ながら、旧約聖書やら古代ギリシア・ローマの神話やらがどんどん出てきて、どこまで真面目なのかよく分からない話が延々と続く。

 ようやく11章で若き友人のエウォルド卿が登場し、自殺を決意したと告げる。彼は絶世の美女アリシア・クラリーに出会い、恋人になるが、彼女が外見にそぐわない空っぽな中身しかないことに絶望したという。

 第二巻「契約」において、エジソンは理想の肉体から魂だけを引き剥がすことを請け負う。そこにアンドロイドのハダリーが姿を現す。エジソンハダリーにミス・アリシアそっくりの外観をまとわせるといい、エウォルド卿と契約を結ぶ。二人はエレベーターで地下の秘密の部屋に赴く。

 第三巻「地下の楽園(エデン)」は短く、人口楽園の様子が描写され、そこにおいて二人は再びハダリーと出会う。

 第四巻「秘密」においてエジソンは、自分がハダリー作製に乗り出した経緯を語る。友人だった堅実な男アンダーソンは、踊り子のイヴリン・ハバルとの恋によって身を滅ぼした。当の彼女はといえば全身を化粧や装飾で飾り立てたうわべだけの存在であり、その実体は〈無〉でしかない。そのような虚飾に満ちた女たちに換えるに、自分は電気仕掛けのアンドロイドを提供しよう、そう考えるに至ったという。ここに至って19世紀的なミゾジニー(女性嫌悪)の言説がこれでもかとぶちまけられているので、現代の読者の多くが意気を削がれることだろう。

 第五巻「ハダリー」は、人造人間がいかに出来ているかを事細かに語る。そもそもエジソンがエウォルド卿に逐一ハダリーの中身を説明しなければいけない理由も存在しないが、作者がなぜここまで執拗に機械仕掛けの説明に拘るのかもよく分からない。ヴィリエは本気で自動人形が作りたかったのか? なんにしろ第3章「歩行」、第5章「平衡」のあたりは読むのがかなり辛い。訳者の苦労が偲ばれる。ともあれ説明終わって、エジソンとエウォルド卿は地上に戻る。

 第六巻「幻あれ!」において、アリシアが登場。三人は夜食を取り、エジソンは彼女の彫像を作るといって体を測らせる約束を取り付ける……。こうして第2章の末尾、630頁に至ってようやく長い一日が終わる。この間、行為はごく少なく、もっぱら妄想、議論、説明、描写などが頁を埋めているのであるから、この『未来のイヴ』、19世紀の小説としては相当に破格な部類に入るだろう。独身貴族の妄想全開という意味で、ユイスマンスの『さかしま』と一脈通じるものがあると言えるかもしれない。

 さて、第六巻第3章以降、エジソンハダリーをミス・アリシアそっくりに仕上げる作業に没頭する。そして遂に完成したという知らせを受けたエウォルド卿がやってくるが、先に本物のアリシアと話をつけておくべく、彼女と一緒に庭を歩くと……。

 というところでおよそ650頁。正直に言ってここまで来るのはなかなか骨が折れるし、明らかにいささか冗長に過ぎるし、色々とあちこち古びてしまっている感も否めないのである。いや本当に、このまま読み続けるべきなんだろうかと迷ったことも一度ならずであった。

 だが、しかし。なにごとも辛抱はしてみるものである。本物のミス・アリシアだと思っていた女性が、実はすでに完成したハダリーだったと知ってエウォルド卿が愕然とするところから先は、話がそれまでとは打って変わった方向に展開し、幕切れまで間然とするところがないと言っていいのではないだろうか。

 詳細を割愛してごく簡単に結末を述べれば(ネタバレご容赦)、最終的にこれは、エジソンが造り出した「理想の身体」に、ミス・エニー・ソワナなる〈無限の世界〉から到来した「理想の精神」が結合することによって(ニヒルエジソンの意図を越えたところで)「理想の恋人」という夢が実現してしまう話なのである。これには素直に驚いた。しかし永遠の理想とは実現すべからざるものであるからして、実現したと思われたのも束の間、エウォルド卿がハダリーを故郷に連れ帰ることはできず、彼女は船の火事によって永遠に失われてしまうことになる。

 ソワナの台詞の内には「理想」とはそれを信じる者にとってのみ現実となりうる、といういかにもヴィリエ的な思想が如実に表れており、その意味においてハダリー=ソワナの存在を受け入れることを決意するエウォルド卿の内には、作者の夢が具現化しているのであり、だからこそこの結末部分ははかなくも美しいものとなっているのである。

 だが、ここで改めて「だが、しかし」である。だとしたらそれまでの650頁、人間の中身なんてしょせん空っぽなのだから、美しい虚飾の見せかけさえあれば十分だというエジソンの思想(本書の内で最も現代的と言えるのはこの部分だろう。実にポストモダン的だ)と、あのハダリー製作のもろもろの理屈と詳細の一切はいったい何だったのだろうか、という根源的な疑問を抱かざるをえないのである。反対に、もしもそちらこそが大事であったのだとすれば、末尾の展開はいかにも取って付けたものであるという感をぬぐえまい(なにしろ催眠術と幽体離脱である、見方によっては胡散臭いことこの上ない)。ハダリー消失に必然的根拠がないという点もプロットの弱さとして指摘されるだろう。結局どちらであったにしても、前の650頁と後ろの100頁との間に断絶(めいてみえるもの)が存在するのは否定しがたいように思われる。

 まあしかし、ともあれこの800頁、最後まで読めば後悔することはないと請け負いたい。19世紀末、ベル・エポックのフランス、〈電気〉という奇跡が人々を幻惑した時代に「科学的想像力」が生み出した妖しいあだ花、『未来のイヴ』は、AIの時代の到来を待ち受ける21世紀初頭の我々にとって、不思議なほど身近に感じられるに違いない。

 なお、海老根龍介先生による末尾の解説が要を得た優れたものであることを記しておきます。21世紀に入ってから奇跡のように登場した「読めるヴィリエ・ド・リラダン」が、若い人にも面白がってもらえることを願いつつ。

 

 Pomme ポムさんのファースト・アルバム À peu près『だいたい』(2017)より、"De là-haut"「天国から」。

www.youtube.com

De là-haut, je vous vois si petits

Tout là-haut, ma peine s’évanouit

Tout là-haut, des visions inouïes

Du soleil qui mange la pluie

("De là-haut")

 

天国から、あなたたちは小さく見える

はるか天国で、私の痛みは消えてゆく

はるか天国で、驚くような光景

太陽の光が雨を食べている

(「天国から」)