えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『モンテ・クリスト伯爵』/Zaz「明日はあなたのもの」

『モンテ・クリスト伯爵』

 こんなの出てるなんて知らなかったなあ、誰か教えてよー、と激しく思ったので、非力ながらここにご紹介に努め、どなたかのお役に立てればと願う。

アレクサンドル・デュマ原作、森山絵凪『モンテ・クリスト伯爵』、白泉社、Young Animal Comics、2015年

 マルセイユの船乗りエドモン・ダンテスは、若くして船長になり、結婚式を目前に控え、幸福の絶頂にあるが、突然に逮捕、投獄の憂き目にあう。イフ島の監獄に閉じ込められて長い年月が経ち、絶望して死を思うが、脱獄を計っていたファリア司祭と出会い、彼から自分が裏切られたという真実を教えられる。そしてフェルナン、ダングラール、ヴィルフォールの3人に対して復讐を誓う……、という、読みだしたら止まらないこと必至の傑作、一大ロマンである。昨年、日本でテレビドラマ化もされたこともあり、その名を知る人は多いに違いない。

 さて、この漫画、なんと岩波文庫で7巻におよぶ原作を、1冊(12話)に収めてしまっているのであるが、主筋の勘所を漏らすことなく、物語をしっかり描き切れているところが、実に素晴らしい。構成の腕前が卓越している。なにしろ濃縮加工なので、1コマたりと無駄なカットはないと言っていい密度で、どんどん話が進んでゆく、その疾走感が心地よいほどだ。

 そして何より、この作者にはたいへんに画力がある。実に生き生きと力強く人物を描いており、物語に魅せられること間違いなしだ。その絵柄は少女漫画的と言ってよいかと思うけれども、それが原作の波乱万丈な物語と実によく合っている。思えば、ユゴーやデュマのようなロマン主義作家の作品は、本来的にドラマ、オペラ、ミュージカルと相性がいいわけで、文字通りドラマチックなこの物語は、漫画化にたいへん適った作品なのだ、ということを深く納得させられもする。それはともかく、実に見事な漫画に仕上がっているので、まだご存じなかった方にはぜひご一読をお薦めしたいと思う次第である。

 以下は余談のようなもの。『モンテ・クリスト伯』は1844年から46年にかけて執筆・発表されている。つまり七月王政の末期に当たっている。1830年七月革命以降、ルイ・フィリップ国王のもと、フランスでは産業革命が本格化した、というのが歴史の教科書に書かれていること。政府が銀行家(ダングラールがまさしくそれ)、産業資本家を優遇することで、鉄道をはじめとした重工業が飛躍的に発展してゆく時代であった。

 さて、エドモン・ダンテスは莫大な財産を手に入れ、イタリア貴族モンテ・クリスト伯爵を名乗ってパリに颯爽と登場し、上流社交界に入りこみ、出世を遂げた3人の仇敵と対峙してゆくわけである。なにしろ彼には金がある。その金を使って策略を練りに練ってゆく次第だが、この「金さえあれば何でも出来る」と言わんばかりの発想というか、イデオロギーというかが、本作の根底に存在していることは疑いない。今も昔も読者の多くを占める庶民は、エドモンの派手な立ち居振る舞いに憧れを抱くとともに、彼と同一化することで一時的に羨望を満足させるのだろう。

 思うに、この「金さえあれば何でも出来る」という身も蓋もない理念は、まさしく七月王政下、上流階級に属する貴族・ブルジョアたちの胸の内に等しくあったものだろう。資本と産業を牛耳る者が世の中を支配し、現に世界を日々更新しており、そのことに自負を抱いていた時代。産業資本主義を推進してゆく情念とエネルギーの根本に、貨幣の持つ「力」に対する信奉があったとすれば、『モンテ・クリスト伯』とは、その時代の趨勢を、これ以上ないくらいあからさまに体現してみせた作品と言えるのではないだろうか。

 もう一点、記しておくべきことは、この作品に登場するのは皆「成り上がり」者たちだということである。漁師だったフェルナンはモルセール伯爵となり、ダングラールも結婚によって男爵の称号を得ている。そしてもちろんエドモンも伯爵を名乗って登場する。「金がすべて」になるのは、伝統的な身分制度が解体した後の話だ。七月王政からその後の第二帝政まで、フランスでは貴族制度が存続し続けるが、貴族の身分は、もはや伝統ある家系の証ではなく、個人としての社会的ステータスの指標なのだ。金があれば貴族の称号は手に入れることができたし、それさえあれば、社会の中で存在を誇示することは十分に可能だった。もちろん、まだこの時代には、旧体制以来の本物の貴族と、新興成り上がり貴族との間には格差が存続していたようで、そのことはバルザックの『ゴリオ爺さん』を読むとよく分かる。しかしもはや身分ではなく、金銭こそが社会を動かす動力であることは明らかとなっていた。成り上がり者同士がつばぜり合いを繰り広げる『モンテ・クリスト伯』は、その意味でも、新しい時代のありようをはっきりと反映させている作品なのである(その日本版は、恐らくは尾崎紅葉の『金色夜叉』であり、菊池寛の『真珠夫人』ででもあろうか)。

 アレクサンドル・デュマは、まさしく近代フランスの申し子とでもいうべき存在であり(彼自身も成り上がりを体現するかのような破天荒な人生を送った)、『モンテ・クリスト伯』は、「近代」がその内に抱いた夢と欲望の映し絵である。その絵柄はどぎつくもあざとく、我々の目を幻惑してやまない。

 

 引き続き Zaz ザーズの Effet miroir 『エフェ・ミロワール』より、"Demain, c'est toi"「明日はあなたのもの」。もっともルフランと呼べるのは"Demain, c'est toi"「明日、それはあなた」の一行だけ。

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