えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『宝島』/ZAZ「パリの空の下」

『宝島』

 ガイブン初めの一冊にお薦めなのは何だろうか? という問いに対しては、無論、私だって好き好んで『ボヴァリー夫人』を挙げるわけではない。19世紀フランス文学限定というなら、『ゴリオ爺さん』を挙げてもいいかもしれないが、いきなり冒頭でつまずかれる危険がないとは言えない。『女の一生』? ははは。まあちょっと暗いですね、やっぱり。

 ガイブン初めの一冊は何もフランスでなくてもいいわけで、常識的に考えるなら、たとえば『宝島』などが挙がるのではあるまいか。と言いながら、実は私、読んだことがなかったので、このたび、

 ロバート・L・スティーヴンソン『宝島』、鈴木恵訳、新潮文庫、2017年

を読んでみたのである。文庫のどこにも書いてないっぽいが(ひどい話だ)、原著刊行は1883年。

 ところで、スティーヴンソンの生没年(これはちゃんと表紙裏に書いてある)は1850-1894年である。ふむふむ。って、おお、そうだったのか。それはつまりモーパッサンと同年生まれであり、没年も1年しか違わない、まったく同じ時代を同じだけ生きた作家だということではないか。

 スティーブンソンはエジンバラ出身、初めて活字になったのは1873年のエッセイ、短編第一作は「夜の宿」(1877年)。作家的地位を確立したのが『宝島』(1883)で、86年『ジキル博士とハイド氏』で文名は世界的に広まった。87年アメリカに移住、翌年帆船を購入して南太平洋を巡航。サモア諸島のウボル島を永住の地と決めるが、94年に急逝。以上は『日本大百科全書(ニッポニカ)』による。

 ということはつまり、1850年生まれの作家として、モーパッサン、スティーブンソン、ピエール・ロチ(1850-1923)、それに小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(1850-1904)を並べることができるわけである。これだけの面子がそろえば、なかなか豊作の年だったと言えるのではあるまいか。そして、この4人の名を一緒に眺めていると、彼らがそろって外国へ旅立っていった人たちだということに、おのずと関心が向かわずにおかないだろう。モーパッサン北アフリカへ、ハーンは極東へ、スティーブンソンは南洋へ、ロチは海軍士官として世界中を巡った。

 そうすると、同年ではないが同世代として、たとえば画家だけれども、タヒチに辿り着いたゴーギャン(1848-1903)とか、あるいは少しずれるかもしれないが、アビシニアまで貿易に行ったアルチュール・ランボー(1854-1891)、そして海洋文学として忘れられない、船員として世界を巡ったジョゼフ・コンラッド(1857-1924)といった名前を、さらに付け足してみたくなる。そして今更なことではあるけれど、彼らの生きていたのが「帝国」の時代であったことが思い出されるのである。

 早い話が、モーパッサンアルジェリアへ、ゴーギャンタヒチへ出かけて「いけた」のは、そこが「フランス」であったからであり、軍人や船員だったロチやコンラッドにはもとよりフランス・イギリスの後ろ盾があった。お雇い外国人として来日したハーンは言わずもがなである。また、一・二世代後になるが、サマセット・モーム(1874-1965)は旅行好きで、それこそ世界中を巡っているが、いわゆる「七つの海を支配した」大英帝国のお陰で、どこへ行っても英語が通じてさして不自由しなかったのだ(どこにも英米からの植民者がいたのだから)。その便利さが、彼にあれだけの旅行をさせた理由の一つであったのは確かだろう。

 なにもここでオリエンタリズムについて、知ったかぶりのことを偉そうに述べるつもりはないのだけれども、同年生まれの作家を並べることで見えてくる地平というのがあるものだ、ということをしみじみ思ったので、ここまで記してみた。1850年前後生まれの彼らは、未知なるものを求めて「海外」へと旅立つ、その衝動に駆られていた世代に属していたと言えるのかもしれない。

 さて、『宝島』である。カリブ海まで海賊の残した財宝を探しに出かけるという物語自体が、まさしく当時のイギリス作家ならではの空想の結実と言えるわけだけれども、それはともかく、この作品、実は舞台は18世紀に設定してある。19世紀末は、「帝国」の支配が行き届き、もはや荒くれ者の海賊たちが好き勝手やれるような時代ではなかったわけであり、海賊たちとの激しい戦いを主筋とするこの物語は、スティーヴンソンにとっても、すでに失われた時代への郷愁を込めたファンタジーだったということだろう。

 海辺の旅館に滞在する老海賊が殺され、遺品の中に、語り手の「私」は宝島の地図を見つける。郷士さんが船を仕立て、医師リヴジーらとともに、海賊が遺した財宝を求めて孤島に向けて出帆する。しかし、船員として雇い入れた一本足のジョン・シルヴァーらが謀反を企んでいることを「私」は知る……。

 読んで分かったことは、この話の主眼は、財宝の探索じたいにはなく(それは存在するのが自明であり、あっさりと発見される)、むしろ海賊たちとの戦い、そして「私」こと少年ジム・ホーキンズが繰り広げる冒険(一人で帆船を操縦し、海賊と決闘する)のほうにあるということで、いやもう、こんなに激しい物語とは知りませんでした。まさしく波乱万丈、ホーキンズのまさかと思う活躍ぶりに、これは子どもの時に読んでいたら手に汗握って夢中になったことだろうと、しみじみと思う。今になってみれば、郷士さんやリヴジー先生が、「私」をほいほいと冒険に連れて行ってくれることがまずもって大きなフィクションである、というようなことが見えてしまう。そのハードルを何気なく越えることによって、作者は読者を壮大なファンタジーの中へと導き入れているのだけれど、いやもう、そんなことが分かったからといって何の得になるものでもありません。そういうのを小賢しいという。

 そういうわけで、確かに面白く読んだのだけれど、いやー、読んどきゃよかったな小学生の頃に、と、どうしても思わずにはいられない、これはそういう小説でありました。

 興味深いのはなんといってもジョン・シルヴァーという人物であろう。元海賊たちをけしかけて謀反を企むも、形勢不利とみるやすぐに和睦を申し出るが、勝機あると見るやまたしても……、と二転三転するところ、悪役は悪役ながら一筋縄でいかないところが面白い。いかにも小悪党というか、あるいは実に「大人」な人物である。彼がどういう人間なのか、あるいは子どもにはよく分からず、謎めいて見えるだろうか。もっとも、そこがかえって魅力と見えるかもしれない。

 以上、つらつらと駄弁を弄してしまった(いつものことかもしれないが)。なにはともあれ、やはり『宝島』は物語の魅力に溢れており、ガイブン初心者入門編にうってつけと言えるのではないかと、ごく素朴に思う。そして汚れちまった大人の読者は、きっとラム酒を飲みたいと思うこと、請け合いである。

「十と五人が、死人の箱に――

 よお、ほの、ほ でラム一本!

残りは酒と 悪魔にやられ――

 よお、ほの、ほ でラム一本!」

(スティーヴンソン『宝島』、鈴木恵訳、新潮文庫、2017年、18頁)

 

 ザーズ ZAZ は何が偉いといって、外国人が求める「フランス大使」的役割を、堂々と引き受けて見せる、その気概というか心意気というかである。パリを歌ったシャンソンを集めた、2014年のアルバム Paris 『Paris~私のパリ~』は、その宣言ともいえるもの。"Sous le ciel de Paris"「パリの空の下」は中の一曲。もとは、1951年ジュリヤン・デュヴィヴィエ監督の同題の映画で歌われた曲。ルフランがないので、一番の歌詞を丸ごと。

www.youtube.com

Sous le ciel de Paris

S’envole une chanson

Hum Hum

Elle est née d’aujourd’hui

Dans le cœur d’un garçon

Sous le ciel de Paris

Marchent des amoureux

Hum Hum

Leur bonheur se construit

Sur un air fait pour eux

("Sous le ciel de Paris")

 

パリの空の下

一曲の歌が飛び立つ

フム フム

それは今日生まれた

一人の少年の心の中で

パリの空の下

恋人たちが歩く

フム フム

彼らの幸福は作られる

彼らのために作られた調べに乗って

(「パリの空の下」)