えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『千霊一霊物語』/バルバラ「我が麗しき恋物語」

『千霊一霊物語』表紙

 アレクサンドル・デュマ『千霊一霊物語』、前山悠訳、光文社古典新訳文庫、2019年

 刊行は1849年。舞台は1831年、語り手(デュマ自身)は、妻を殺したばかりだと打ち明ける男に遭遇、市長らと一緒に現場検証に出かけるが、そこでその男は、殺した妻の生首がしゃべりだしたのだと告げる……。

 その後、市長のリュドリュに会食に呼ばれた「私」は、奇妙な客たちと顔を合わせることになる。話は当然、先ほどの殺人犯の告白の真偽についてになるが、検死に立ち会ったロベール医師は、ただの幻覚に過ぎないと言って請け合わない。するとリュドリュ氏は断固、生首が動くことはありえると言い、なぜなら自分はそれを体験したからと、回想話を始める……。

 そこから以下、会食者たちが順に超自然的な物語を語っていくことで成り立つ連作短編、それがこの『千霊一霊物語』の構成である。話が続いていくから『千夜一夜物語』になぞらえ、それが怪談だから『千霊一霊』、というのはいかにも安直なタイトルではある(日本なら百物語というところか)。

 が、それはそれ、なんといってもアレクサンドル・デュマ。話芸の巧みさは見事なもので、ひとたび読みだしたら止まらない。あれよあれよという間に読み終えて、読み終えた途端にすべてを忘れて、後には何も残らない爽快感、とでも言おうか。正直、特別に何かを言おうという気にもならないが、これはそういう本なのだから、それでよいのではあるまいか、と思うのである。

 デュマがうまいのは、まず最初に持ってくるのが、ギロチンで切られた頭に意識は残っているかという、解説にも述べられているとおり、当時大真面目に議論された話題だという点である。そこに、処刑されたシャルロッテ・コルデーの生首に処刑人助手が平手打ちを食らわせると、恥辱ゆえに生首が赤らんだという、実際の記録に基づく逸話が挙げられる。したがって、この時点(およそ100頁)までは、まだ読者に「本当にありえるかもしれない」と思う余地が残されている。そうして読者を引きつけておいた上で、そこからようやく超自然的な領域に飛び込んでいくのである。あとはもう作者のお手の物と言うべきところだろう。

 また、さすがは伝統だなと思うのは、サン=ドニの王墓にまつわる話(第9章)があったり、怪談のベースにキリスト教の信仰があって悪魔憑き(「第10章 ラルティファイユ」)の話などが出てくるあたり。もっとも、作者が「信仰を失ったみなさんの国」(352頁)と東欧出身の女性に言わせる、19世紀半ばのフランスである。ここでは幽霊や悪魔の扱われ方は、ゴーチエの『恋する死霊』などと同様、すでに完全に近代のものである。したがって、デュマの怪談には背徳的なところは全然なく、おどろおどろしくはないので、総じて話はからっとしているという次第だ

 いやまあ、実のところ、ほとんど馬鹿馬鹿しいくらいに仰々しいソランジュとアルベールの物語(第6・7章)など、私も決して嫌いではなく、ロマン派時代(あるいはフロベール以前)の作家は自由気ままでよかったなあと、しみじみ思いもする。論文を書く気にはぜんぜんならないが、単純にして力強い「物語」の魅力と喜びがここには詰まっており、読書の原点はこういうところにあるのだという気がする。本邦初訳を寿ぎたい。

 

 先日、マチュー・アマルリック監督『バルバラ セーヌの黒いバラ』Barbara (2017) を観た。けっこう期待していたのだが、うーむ、これは一体何なのだろう、と狐につままれたような気になる。

 一体この映画には、アマルリックジャンヌ・バリバールバルバラになってほしかった、という以外に何かあるのだろうか。バリバールの演技は見事であると思うけれど、しかしもうちょっと素直に観客のことを考えて映画作れませんか、と思わずにはいられない。いやはや。

 ここはもう、本物を拝聴するしかない。INAのアーカイブより、1967年の「我が麗しき恋物語」"Ma plus belle histoire d'amour"。あまりにも美しい。フランス語を勉強してよかったと、心から思える理由の一つは、バルバラを知れたこと。最初の節だけ拙訳。

www.youtube.com

Du plus loin que me revienne

L'ombre de mes amours anciennes,

Du plus loin du premier rendez-vous,

Du temps des premières peines

Lors, j'avais quinze ans à peine,

Cœur tout blanc, et griffes aux genoux.

Que ce fut, j'étais précoce

De tendres amours de gosse

Ou les morsures d'un amour fou,

Du plus loin qu'il m'en souvienne

Si depuis j'ai dit « je t’aime »

Ma plus belle histoire d'amour, c'est vous.

("Ma plus belle histoire d'amour")

 

一番遠いところから戻ってくればいい

わたしの古い恋愛の影が

一番遠いところから、最初の逢引きから

最初の苦しみの時から

その時、私はせいぜい15歳だった

心は真っ白、膝には爪跡

わたしは早熟だった それはなんて

子どもっぽい優しい恋だったこと

あるいは狂ったような恋の傷跡

一番遠いところから、思い出せればいい

それ以降「あなたが好き」と言ったなら

わたしの一番美しい恋物語、それはあなた

(「我が麗しき恋物語」)