えとるた日記

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『ディリリとパリの時間旅行』

『ディリリとパリの時間旅行』

『ディリリとパリの時間旅行』、ミッシェル・オスロ監督、2018年

 待望のオスロ監督の新作を映画館にて鑑賞、感無量。

 時は1900年、万国博覧会の「人間動物園」に出演していた、ニューカレドニアからやってきたカナカ族の少女ディリリは、なんと故国で(当時、流罪中だった)ルイーズ・ミシェルに習っていたのでフランス語を話せる。彼女は、三輪車の配達人オレルとともに、少女たちを誘拐する「男性支配団」の謎の解明に乗り出す……。

 ディリリとオレルは三輪車でパリの町を駆け巡るのだが、そこで凱旋門ヴァンドーム広場、ルーヴル、ノートル=ダム、といったモニュメントを次々と巡ってゆく。監督が4年かけて撮り貯めた写真に基づくというその背景画が、とにかく美しくて逐一驚かされっぱなし、それが本作の第一の見どころだ。「夢のような」とか「目を瞠る」とかいう言葉は、すり切れた紋切型でしかないけれど、本当に文字通りに茫然と見惚れるばかりの画面が、次から次にと現われてきて、休む暇もないほどだ。

 そして二人は行く先々で、当時存命だった著名人に出会ってゆくのだが、これが凄い。ルナンに始まり、ピカソマチスルノワール、モネ、マリー・キュリーコレット、サティ、トゥールーズロートレック、まだ無名なプルーストロダンカミーユ・クローデルサラ・ベルナール……、と、これだけでもすでに錚々たる面々だが、それどころの話ではなくて、その数、総勢100名にもなるというから大変だ(気がつかなかった人物が色々いて悔しい)。いや、もう、これは19世紀、ベル・エポック期のフランスに関心を持っている人間には、まさしく「夢」そのもの、興奮と悦楽に満ち満ちた、奇跡のような時間が流れつづける、そういう稀有な映画である。

 もっとも、ミッシェル・オスロが素晴らしいのは、決してその絵だけではない。『キリクと魔女』、『アズールとアスマール』から『夜のとばりの物語』まで、この監督は常に、物語を勧善懲悪に落とし込むことがなかった。善悪二元論を解体し、異なる解決の道がありうると示すこと。一方的な見方から解放された先に、他者に対する理解と共感が存在すること。そうしたことを、説教臭くなることを回避しながら、なおかつ雄弁に語ってみせることができたところに、この監督の類まれな誠実さと、子どもに向けたアニメーション製作者としての揺るぎない信念が存在していた。

 実のところ、その観点からすると、本作はどうなのだろうかという一抹の思いがないではない。確かにこの作品でも、監督は敵を「退治」する場面によって物語を終わらせはしなかった。また、ルブフという人物が変化する様には、人間を一元的に捉えない監督の思想がはっきりと投影されている。それでも、これまでの作品に比べると、いささか物足りない思いが残るように感じたのではある。 

 だが、そんな繰り言は、あの圧倒的な陶酔感に比べれば何ほどの意義も持ちはしない。まったくもって、このあまりにも美しい夢に、いつまでも浸っていたいと思わずにはいられない。

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