えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『ブヴァールとペキュシェ』/ミレーヌ・ファルメール「悪魔のような私の天使」

『ブヴァールとペキュシェ』表紙

ギュスターヴ・フローベールブヴァールとペキュシェ』、菅谷憲興訳、作品社、2019年

 マラルメは「世界は一冊の書物に書かれるために存在している」と述べた。そのことの意味は、この世界に「意味」をあらしめるのはただ人間の言葉だけであるということだ。人間がいなければ、そして言葉が存在しなければ、世界を意義づけることはできない。言い換えれば、世界を「記述」することこそが人間にとって至上の使命であり、その使命を我が身に担う者が、真に「詩人」の名に値する者なのである。

 大言壮語? いかにもそうだろう。誇大妄想? もちろん、そいう見方もある。だが、我々が人間としてせっせと言葉を吐き続ける生き物である限りにおいて、このマラルメの言葉の内には常に幾ばくかの真実があり、それが我々を魅了し続けるというのもまた事実ではないだろうか。

 『ブヴァールとペキュシェ』について考える時、私にはこのマラルメの言葉が思い出され、フロベールマラルメという二人の作家がどこかで繋がっているように思えてならない。1,500冊を超えるを書物を渉猟した果てに、フロベールはこの一冊の本の中に人類の「知」を丸ごと詰め込もうとした。いわば「人間」を総決算するために。

 マラルメは詩人として実現不可能な「夢」を思い描き、現実にはそのわずかな断片を提示するだけでよしとしたが、小説家であるフロベールは「書物」の実現に正面から挑み、苦闘の末に力尽きて斃れた。マラルメはあくまで理想を語り、「書物」という一大プロジェクトに詩人たちが総動員で取り組んでいるという物語を美しく語った。フロベールは自分の世界を皮肉と諷刺で塗りこめることで、人間の愚かさと哀れさを嘲笑しつつも、幾ばくかの苦い同情を禁じ得なかった。

 いずれにしてもこの二人の作家は言葉によって人間は何をなしうるかという問いに挑んだのであり、その彼らの挑戦によって、我々の実存の可能性は幾らかなりと押し広げられることになったのだと言えるだろう。

 極論すれば、フロベールは『ブヴァールとペキュシェ』を書くために生まれてきたのであり、彼の人生はこの一冊の書物の実現を目指す長い道のりだった。そのように言いたくなるくらいに、この作品はフロベールの「本質」とも言うべきものを表しているように思える。描写の美しさであれば『ボヴァリー夫人』こそが宝庫であり、構成の精緻さという点では『感情教育』に勝るものはないだろう。だが、『ブヴァールとペキュシェ』には作者の血肉化した信念とでも呼ぶべきものが脈打っている。だから読むたびに、ここにこそ真の作者が息づいているという思いに打たれるのである。

  実はこのたび、『図書新聞』第3427号(2019年12月14日)に本書の書評を掲載して頂いた。せっかくなので、その内の1段落を引用しておきます。

 この小説を読んでいると、十九世紀が「知」に取り憑かれた時代であったことをつくづく思い知らされる。自然科学や人文科学が各方面に発展して多くの発明・発見がなされ、無数の専門書が著され、大規模な百科事典が編纂される一方、一般大衆は新聞や啓蒙書を通して貪欲に知識を吸収した。ブヴァールとペキュシェは進歩と発展に魅了された人類の象徴だと言えよう。しかしあらゆる試みに失敗する彼らは諷刺画なのであって、そこにフローベールの苦いアイロニーがたっぷり盛られているのも疑いない。いかに科学が進展しても、理論と実践は食い違い、偶然の作用は避けがたく、あまつさえ理論同士が矛盾しあうのであれば、どうして真理を手にすることができるだろうか。好奇心に駆られてさ迷いながら決して真実の泉には到達できない、そんな「人間」の戯画たる中年男たちの悪戦苦闘はなんとも滑稽であり、本作は抱腹必至の喜劇という一面を備えている。と同時に、刊行から百四十年近くを経て、現代人はフローベールの諷刺から逃れられたのかといえば、なかなかそうとも言い難い。ブヴァールとペキュシェは永遠に我々のグロテスクな写し絵であるのかもしれず、だとすればおちおち笑ってばかりもいられない。

  「19世紀レアリスムの大家が遺した問題作」が、新訳により多くの人に読まれることを願いつつ。

 

 Mylène Farmer ミレーヌ・ファルメール、前回のライヴは2013年のタイムレス・ツアー。その時のクリップ。"Diabolique mon ange"「悪魔のような私の天使」は、2010年のアルバム Bleu noir 『ブルー・ブラック』所収。訳してはみるが、正直、よく分かりません。

www.youtube.com

Flik flak

Diabolique est mon ange

Tic tac

Plus rien ne nous dérange

La claque

Bien contre lui et tangue

Tic tac

On s’est aimé à s’y méprendre

 

Flik flak

Diabolique est mon ange

Tic tac

Plus rien ne me dérange

La claque

Suis contre lui et tangue

Et là

S’agenouiller et puis s’éprendre…

("Diablique mon ange")

 

フリック フラック

私の天使は悪魔のよう

ティク タク

もう何も私たちを邪魔しない

平手打ち

彼に反して 体が揺れる

ティク タク

愛しあって 騙された

 

フリック フラック

私の天使は悪魔のよう

ティク タク

もう何も私を邪魔しない

平手打ち

彼に反して 体が揺れる

そこで

膝をつき、そして好きになる……

(「悪魔のような私の天使」)