えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ふたたび映画観る日々に

日本の古本屋さんに出ていたので、勢いで購入してしまった本。
Guy de Maupassant, La Maison Tellier, Havard, 1889 (dix-neuvième édition).
1881年初版の重版ものだけど、ちゃんと年と版が記してあるのに少し驚く。
仮綴じなのであるが、おかげで裏表紙に広告が載っていて、
Gyp, Maupassant, Maizeroy, Mendès と並んでいる。
その内のモーパッサンを、初版の年を追加して並べてみと、
女の一生』(1883)、32版
『ベラミ』(1885)、56版
『モントリオル』(1887)、40版
『マドモワゼル・フィフィ』(1883)、13版
『太陽の下に』(1884)、11版
『ミス・ハリエット』(1884)、13版
『イヴェット』(1884)、15版
『ロックの娘』(1886)、17版
『山鴫物語』(1883)、12版
となっている。
ここから分かること、少なくとも二点。
1 単純に見ると『ベラミ』が一番売れたことになるが、初版年も考慮した場合、
  後の作品ほどよく売れているといっていい。
  モーパッサンの人気は着実に上がっていったと見てとれよう。
2 短編集よりも長編の方がよく売れた。
  短編は新聞・雑誌で読んだからと避ける読者も、長編はまとめて読みたいと思うからか。
  モーパッサンはずっと短編より長編の方が上だと考えていたけれど、
  あるいはそれには「売上」という問題も多少は絡んでいたのかしら。
  なんにせよ、1889年時点、モーパッサンは『ベラミ』と『モントリオル』の作家だった、
  と、この数字だけからだと言えなくもない。
中身はガリカで見られる初版と異同なし。
まあ正直言って、持っていても読むわけではなし、ちょっとしたぜいたくではあった。

11'09''01 セプテンバー11

11'09''01 September 11, 2002
この映画は次の本で教えてもらう。
佐藤忠男、『映画でわかる世界と日本』、キネマ旬報社、2008年
2001年9月11日の事件に対してどう応えるか、という問いを11人の監督にぶつけた作品。
ケン・ローチアモス・ギタイミラ・ナイールらには答えに迷いがなく、
ダニス・タノヴィッチやイドリッサ・ウエドラオゴにとっては、
「お国」の問題が大事な分、事件そのものとは距離があるようで、
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥは唯一、事件そのもに焦点を当て、
ユーセフ・シャヒーンは誠実に、板挟みの心境を打ち明ける。
サミラ・マフマルバフは、いささかシニカルに距離をとり、
ショーン・ペンは事件が世界に対して目を開かせたことを寓話的に語る。
いちばんぶれてたのがクロード・ルルーシュかなあという印象。
今村昌平の作品は、映画としての完成度はすごく高いのであるが、
全体から異様に突出していて、そのズレ具合が、日本の状況を象徴してる
ように見えるところがなんか怖い。
平和主義は貫徹してるけど、しかし逃避と紙一重のように見えてしまう。
何を言っていいのかまるで分らないけれど、
国際化の現代をあらゆる意味で象徴する作品なのは疑いあるまい。

太陽に恋して

Im Juli, 2000
やっと観ました、ファティ・アキン長編第2作。
ハンブルクの冴えない教育実習生の青年が、
トルコ人の女性に恋をして、イスタンブールまで追いかけようと車に乗ったところで、
彼に魅かれている別の女性が、ヒッチハイクで乗りこんでくる。
ハンガリールーマニアを通ってトルコまでのロード・ムービー。
話の筋は簡単明瞭で結末も予測できるのだけれど、そんなことはどうでもよく、
騒動に巻き込まれてる間に、どんどんワイルドに変身していく青年の姿が
なんとも清々しい青春映画で、いやこの監督才能あるなあとしみじみ思う。