えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

独歩『病牀録』

外國の作物にて余が耽讀せしは、露のツルゲネーフ、トルストイ、佛のユーゴー、モーパツサン等のなり。しかも余の思想上の感化は、英のカアライル、ウオヅオース等より、作品上の感化は、ツルゲネーフ、トルストイ、モウパツサン等より享受せり。 (『病牀録…

29日だ

その日まであるのを知らず閏日 えとるた今日は簡単に。 『定本花袋全集』(2期にわたって全29冊、臨川書店)は「全集」と名乗ってはいるけれど、 未収録の小品は山のように残されている。なかんずく翻訳・翻案が収録されていないのは残念だ。 それに比すると…

白鳥「モウパツサン」(1)

行きがかり上、これを読もう。 正宗白鳥、「モウパツサン」、『モウパツサン』、文藝春秋社、1948年所収 『正宗白鳥全集』、第22巻、福武書店、1985年より。 『別冊文藝春秋』に四回にわたって連載されたエッセーで、収録のエッセー集の題が「モウパツサン」…

かわらず夜更かし

どうして夜が更けるのはこんなに早いのだろう。 それはね、朝が遅いからだよ。 お写真は、マロンさんです。

『自然主義文学盛衰史』

正宗白鳥、『自然主義文学盛衰史』(1948)、講談社文芸文庫、2002年 白鳥のエッセーの文章はなかなか癖があるのだけれど、自然主義の事情が多少なりと分かってくると、この本はなかなか面白い。 正宗白鳥(1879-1962)は明治末には讀賣新聞の文芸欄を担当し…

夜更ける

ここのところ日増しに生活時間帯が後ろにずれこんでいる。これはいかんことである ということは大昔から知っているのに、今だに改善されないのは何故だ。 モーパッサンは「夜」という短編に、いわば夜を愛するあまり 夜に滅ぼされる男の話を書いたけれど、 …

巨人の仕事

いつもながら遅まきながらに読書する。 加藤周一、『日本文学史序説』、ちくま学芸文庫、下巻、1999年 の明治以降の箇所。 なにが凄いって、この浩瀚な著書の中には一行たりと「おざなり」な箇所がないのだ。 それにしてもこの視野の広さは、まさしく巨人に…

日本におけるモーパッサン、私論

とりあえず1868年の明治維新とともに、日本の小説改革が始まったとするならば、 その最初のトピックは坪内逍遥であり二葉亭四迷であり、その次に尾崎紅葉、硯友社がくる。 がそれに飽き足らない次の世代(1870年代生まれ)の文学青年達は、もっぱらその範を …

どとうの執筆

田山花袋についてよく分からないことは、彼はフランス自然主義を前後期に分け、ゾラは 前期でモーパッサンは後期としているようでありながら、その内実がもひとつよう掴めない ということである。が、それはひとまずおいておくこことして、一足飛びに 「日本…

鳥と遊ぶ

寒風吹きすさび小雪も散らつく中、神戸花鳥園に赴き、鳥と戯れる。 というか鳥に遊ばれる。 我が腕に乗ったオオオニハス、もといオニオオハシさんに餌を差し上げるという 貴重な体験はなかなかスリリングでした。 しかせんべいを手にした途端しかに食いつか…

写実主義のおおもとは

写実主義の親分は坪内逍遥であり、二葉亭四迷である ということを今さらながらに学んでほえーと思った日。 坪内逍遥は『小説神髄』であり『当世書生気質』である。 二葉亭四迷は『浮雲』である、というのは常識だあね。うーむ。 問題は逍遥の唱えた写実は紅…

重右衛門の最後

田山花袋『蒲団・重右衛門の最後』、新潮文庫、2004年(77刷) 明治34年『野の花』をきっかけに花袋と正宗白鳥との間にちょっとした論争があり、 田山君は「小主観」と「大自然の主観」とか訳の分からないことを言って攻撃されたのであるが、 そのあたりのこ…

日々これ乱読

昨日は旧友再会でよろこばしからずや。 引き続きお題は花袋君。

花袋『小説作法』

とりあえず花袋が読書家であったという事実は誰にも否定できない。 そして田山花袋という人は小説談義をするのが好きだった。 そういうわけで彼の評論ないしエッセーの中にはまあたくさんの外国人作家の名前が 出てくるのである。そしてその中にはモーパッサ…

終わりは始まり

今日もまた最終講義を聴講。 さて昨日につづいて。

花袋『東京の三十年』

忘れた頃に戻ってくる田山花袋のお話。 とにもかくにも『東京の三十年』、大正6(1917)年の中の「丸善の二階」は、 日本におけるモーパッサン受容には欠かすことのできない資料なのだ。 うむを言わずに読むべし、読むべし。 引用は『定本 花袋全集』第十五…

あらためて挑め花袋に

一晩熟睡で一応復帰。 あまり無理しないようにさくっと行きたい。

最終講義

恩師の最終講義の日。考えること多し。 ところで、 その後のパーティーでワインを飲んだ途端に、左目がダウン。涙がとまらない。 だから言わんこっちゃない。その昔、同じような症状で 近くの眼科に行ったところ、お爺さんの医者に「結膜炎」の診断を頂き、 …

モーパッサンとアロクールの詩

ところで昨日のアロクール「月光」に関して二点付記。 1882年にデビューした前衛よりの詩人の詩を(その詩自体はロマンチックなものにせよ)、 1884年にモーパッサンが時評で紹介しているということは見過ごせない。 ルイ・フォレスチエ先生がつとに説くよう…

おっとまだ校正

昨日は月一のネルヴァルの日。久方の焼酎(鹿児島芋「晴耕雨読」)にやられる。 本日は、 もう無いかと思っていたら印刷所から直に二稿があがってきたので、また校正だ。 もう無いと思っていた以上、今さら間違いが見つかっては断じてならないはずが なぜか…

アロクール「月光」

問題は1884年8月17日「ゴーロワ」掲載の「月と詩人達」と題する文で、冒頭にはマラルメの名も見える。 ここにアロクールの詩が引用されているのだけれど、ジャック・デュポンの丁寧な注釈も、知ってること しか言ってくれないジェラール・ドレーズマンも、原…

ケックラン!

なんと舌の根の乾かぬうちに発見する。

エドモン・アロクール

そもそも誰なんだ、アロクールって。 という点に関しては、仏語版ウィキペディアが多少なりと教えてくれる。 Edmond Haraucourt, 1856-1941 詩人、小説家、作曲家、作詞家、ジャーナリスト、劇作家にして美術館学芸員。 1882年、『性の伝説、ヒステリックで…

ようやく校正おわる

やっと一段落。つくづく目が商売道具だと思う。酷使してごめんね。 ところで、 北村薫『詩歌の待ち伏せ』1・2、文春文庫、2006年 を読んでいると、エドモン・アロクールの名前が三度ばかし登場する。 『ロング・グッドバイ』の有名な台詞の元ネタと思わしき…

校正はつづく

終わったー、と思ったら次の校正のお仕事を頂いてしまう。 これがなかなか硬派なもので、あちこち読めない漢字に遭遇する。 ので己が無知を顧みず、ルビを振らせてもらっちゃおうと思うわけである。 これを機に覚えられれば、私も一つ賢くなれるのであるけれ…

忘れないうちに

同じような趣旨のがもう一か所あったのを、忘れない内に引用させていただく。 「(前略)何によらず、物事というのは汽車の窓から眺める風景のように、我々の前を過ぎて行く。その中から、<おや、あれは何だろう><どうして、あんなことになるのだろう>と…

小説論とミメーシス

ところで細々と「小説論」の話を続ける。 とりあえず「ロマン主義」と対立される「レアリスム・自然主義」小説の理念が 初期モーパッサンの作品に適応可能であることは一応確かであろう。 反対に、人生の正確なイメージを与えると主張する小説家は、例外的に…

ミメーシスだ

今日も公私にわたって校正校正。更生じゃないだけよしということか。 「私」の方は、初期作品における女性の表象論。最初8頁で書いた後、校閲を経て こんどは35字×31行で全11,5枚内で印刷所行き、ということの意味は何か。 考えてもよく分からない。どうでも…

明石焼き美味

考えてみれば、地味だけどやらないといかん仕事というのは これ要するにあらゆる「安全確認」はそうであろう。 校正ごとき、ぶつくさ言わずに黙ってやれ、ということなのである。 本日は明石にて、生まれて初めての明石焼きを食す。 話代わって 北村薫『街の…

校正する

やらないと絶対に後で後悔するものでありながら、 見た目にすぐ成果の出るものでもない(出たら問題だ)地味さが校正にはつきまとう。 こういうのは何に似ているのだろう。 「小説論」の訳語についてのメモ。 ・はじめはカナのまま残していた「レアリスム」…