えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『自然主義文学盛衰史』

正宗白鳥、『自然主義文学盛衰史』(1948)、講談社文芸文庫、2002年
白鳥のエッセーの文章はなかなか癖があるのだけれど、自然主義の事情が多少なりと分かってくると、この本はなかなか面白い。
正宗白鳥(1879-1962)は明治末には讀賣新聞の文芸欄を担当していて、傍からは自然主義派と見られていたけど、本人としてはそんな気はなかったと述べている。花袋、藤村より8、9歳下になり、加藤周一プロテスタンティズムとの関わりから『日本文学史序説』の中で白鳥を特別に論じている。
とりあえず大事なのはここだ。

当時の自然主義系統の作家や評論家が、西洋の近代文学をどんな風に受け入れていたかというと、まずツルゲーネフの小説が、二葉亭の翻訳によって早くから読まれていた。後日ガーネットの英訳によって通読した作家も多かった。藤村も小諸で『猟人日記』なんか読んで、自然描写について大いに啓発された筈であった。赤表紙の粗悪な英訳本によって、モウパッサンの短篇集は、広く読まれていた。小銭稼ぎの翻訳には便利なので、この短篇集がよく用いられていた。そして、自然主義末流作家の創作のお手本のようにされてもいた。モウパッサンからもっと進んだ所で、フローベルやゴンクールの作品が重要視され、花袋などはゴンクールの印象的描写を賛美していた。あの頃、バルザックは通俗小説あつかいされて、あまり読まれなかった。スタンダール、ブールジェなどの心理描写の作品も左程に重んぜられなかった。しかし、ボードレエルとかヴェルレーヌとかポウとかが、訳も分らずに有難がられていたのは変であった。外国文学の鑑賞は、いつの世でも出鱈目であると云ってもいいので、ある有力者が賛美すると、多数者が直ぐに雷同するのである。(73ページ)

面白いので引用が長くなった。
二葉亭四迷の「あいびき」およびツルゲーネフの存在はモーパッサン同等かそれ以上に重要。
・「赤表紙の粗悪な英訳本」は無論「食後叢書」のこと。
白鳥自身は「青い表紙の新しい英訳全集」、すなわちダンスタンの版で読んだという。そのことは「モウパッサン」と題するエッセーに出てきて、そこで「私も二三篇は翻訳した」と言っている。
それは何か。
「夜寒」、『讀賣新聞』、明治37(1904)年、10月30日
「一家族」、『讀賣新聞』、明治39(1906)年、10月7日
「蝙蝠傘」、『讀賣新聞』、明治40年、8月4日
のことである(はず)。原文は未見。
・それにしても「自然主義末流作家」とは、一体誰のことか。
田山花袋ゴンクールについては吉田精一も詳述する重要なファクター。しかしこれはまず花袋が読んだ英訳を同定し、それを仏語原文と比べる作業をする必要がある。かなりの確率で、「粗悪」な翻訳であったに違いない。芥川龍之介フロベールの『聖アントワーヌ』を英訳で読んだらすらすら読めたけど、描写が大幅に削除されていたからだった、と述べている。多分、それと同じことがゴンクールには言えるだろう。
・「訳も分らずに有難がられていたのは変であった。」白鳥節はこの辺にも垣間見える。
その白鳥節が炸裂しているのは、たとえば次のようなところだ。

日本の自然主義作家と作品の一むれは、世界文学史上に類例のない一種特別のものと云うべく、稚拙な筆、雑駁な文章で、凡庸人の艱難辛苦を直写したのが、この派の作品なのだ。人に面白く読ませようと心掛けないのも、この派の特色であった。硯友社の小説は元よりの事、漱石でも新聞小説は読者を喜ばせようとはじめから苦心していたらしい。近来の新聞小説は、無論面白がらせることを主として制作されているのである。
 同じ自然主義作品にしても西洋のそれ等は面白いのに、日本のは面白味が乏しい。それは才能の相違に依るのだが、態度の相違にも依るのだ。誇張して云うと、自然主義の功績と弊害はこんなところにもあるのだ。「自然主義が小説を面白くなくした。」と、よく云われていたが、面白くなくしたところに、この派の特色があったと云ってもいい。(160-161頁)

自然主義の小説は面白くない。と、自然主義の一人と言われる人が、『自然主義文学盛衰史』の中で、しかも繰り返し述べているんである。こんな言葉も凄い。

天馬空を往くような、空想力豊かな天才は別だが、そんな作家は、近代の日本には出現していないし、また出現しそうでないのだ。私が自然主義作家中の第一人者として推讃する島崎藤村にしても、その空想力のいかに貧弱であることよ。(90頁)

これがユーモアとちょっと違うように思えるのは、白鳥はいたって真面目に語っている(ように見える)からだ。彼に自然主義文学者達に対する思い入れがないわけでは、全然ない。それはたとえば夏目漱石を語る文章の内ににじみ出ている。

花袋が『蒲団』や『生』や『妻』を書いた時、藤村が『家』や『新生』を書いた時には漱石などの伺い知らない苦痛を感じていたのだ。泡鳴や秋江が自分の体験を書く時にもそう云う、人知れぬ苦痛を感じていたのだ。私は彼等に接近していたからよく知っている。(64頁)

けれど白鳥は自分の追憶に溺れたり感傷に浸ることがほとんどない。花袋の文章のほとんど対局にある。
ところで最後に引いておきたい箇所がある。既にない友人知人の作品を読み返してのこの白鳥の感想は、今日、傍から見れば「なにを今さら」という体のものであろう。だが、それがまさしく一生を自然主義とともに歩んできた作家の言葉であることを思う時、一種の感慨に打たれるのである。
そしてこの言葉こそは、遠く遙かにモーパッサンの「小説論」とこだまするものである、ということもまた、私にとっては意義深い所以である(のだ)。

 粉装を凝らさない木地の人世、それが有るがままに描かれれば、それは、文学の極致で、言い分はない訳であるが、実は木地の人世はなかなか描けないと云う事なのだ。自然主義文学の復習をして来た私は、有るがままの人世が描かれていると思い思い、その筆の巧拙を考え考えしていたのであったが、実は有るがままの人世は、人間わざでなかなか書けることでないことが分って来た。筆先がうまく動いて、文章の綾で何がなしに読者が魅せられる時には、それが人生の真実であり、有るがままの人世であるように思うのだが、しかし、多くのそれは、作者の世界であり、作者だけの人世であり、正真正銘の人世はどこか別の物であるのじゃないかと、私には思われだした。(171頁)