えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

志賀直哉とモーパッサン

モーパッサン全集」の
戦前の代表が天佑社であれば、戦後はもちろん春陽堂だけれど、
1955-56年に出た版は完結したのかしなかったのかよく分からず(たぶんしなかった)
それでも、21巻の予告中、16巻までは確かに出た。
雪辱を期してかなんだか、その十年後、
1965-66年に、開き直って極力コンパクト、三段組み3冊に収めてしまったのが
戯曲以外の作品をほぼパーフェクトに収録する「モーパッサン全集」の決定版だ。


という話は余談であって、それとは別に1950年から翌年にかけて創芸社というところからも
全集を出す企画はあった。「モオパッサン全集」*1といい、
こちらは全23巻を謳いながら、実際には12冊しか出なかったらしい。
同じ1950年には小山書店から「モーパッサン文庫」*2全9冊というのもあったが、
これも6冊で終わったらしいので、本当に売れたのかと若干心配になるけれど、
翌年には白水社が「モーパッサン長編全集」*3を6冊出し切っている。
40年代末から50年代初頭まではとにかくブームと呼んで差し支えないくらい、
次から次に作品集が出たのは間違いのないところだ。
とまた話が逸れるが、要はその未完に終わった創芸社であり、志賀直哉(1883-1971)である。
志賀はこの幻の全集に「推薦文」を寄せている、ということを今日知ったという話。
三遊亭円朝の話に次いで、「田山花袋達の自然主義運動でもモウパッサンは恐らく他の作家よりも
一番大きな役割を果したのではないかと思ふ」と述べ、最後に自分のことを語っている。
そこを引用しておきたい。

 私も小説を書き出しの頃はモウパッサンの影響を受けた。私の場合は話の筋は私自身のものであるが、短篇構成の技法は色々教へられた。自分の力が充分でないと、兎に角、考へた話を短篇の形式に嵌込むと、どうか、物になつた。私は初めの頃、その形式を一番モウパッサンに学んだ。題名なども、うまく浮んで来ない場合、アフター・ディナー・シリーズといふ一冊五十銭の英訳モウパッサン選集を沢山持つてゐて、その目次を一つ一つ見て行くうちに不図、うまい考へが浮んだりした事もある。
 そんなわけで、私には古いモウパッサンだが、今度創芸社からその全集が出ると云ふのは私にとつても真(まこと)に嬉しい事で、私はその出版を楽みにして待つてゐる。
(『志賀直哉全集』、第8巻、岩波書店、1999年、360頁)

おお。ブルータス、お前もか。
てな感じでここにも「食後叢書」が出てくる、ということも大事だが、やはり、
とにもかくにも日本の短編作家の代表とも言うべき志賀直哉が、モーパッサン
「短篇構成の技法は色々教へられた」というのは、重要な証言ではあるまいか。
と思うのである。
が、しかしよくよく読んでみると、志賀直哉モーパッサンを一言も褒めてはいない
ということにも気づかされる。
「話の筋は私自身のものであるが」という言葉も、田山花袋への当てこすりを含めつつ、
なんとも志賀直哉的な韜晦の滲み出た文章のような気が、だんだんとしてくる。
でもまああんまり深読みはしないでおこう。
それにしても一体なんで頓挫してしまったのであろうか、創芸社の「モオパッサン全集」は。

*1:翻訳者は山川篤、竹村猛、河盛好蔵木村庄三郎、関根秀雄、田辺貞之助、青柳瑞穂、岡田真吉、土居寛之、桜井成夫だから、全部仏語からの翻訳だ。

*2:河盛好蔵、水野亮、川口篤、杉捷夫、生島遼一広津和郎。なんと河盛好蔵だけ両方に顔を出している。凄い。

*3:鈴木力衛、小西茂也、鈴木健郎、岡田真吉、中村光夫