えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

宝石

Les Bijoux, 1883
さあなまけないでモーパッサンを読もう。
ジル・ブラース、3月27日。もちろんモーフリニューズ名。『月光』に収録。
「首飾り」と対になる作品で、こちらも結構有名な作品。
ランタン氏はある日若い娘に出会うが、貧しいけれども尊敬に値し、おとなしく、穏やかな性格の持ち主。

その娘は、思慮ある青年が人生を託したいと夢見るような、貞淑な女性の完璧なタイプのように見えた。控え目な彼女の美しさは天使のように慎ましい魅力をそなえており、決して口元を離れないかすかな微笑が、彼女の心の反映とも見えた。(1巻764ページ)

ランタン氏は彼女と結婚する。彼女は実に巧みな倹約家なのでまるで贅沢に暮らしているかのようだったし、彼女の魅力は結婚してからさらに増したので、6年後にも最初の頃以上に彼女を愛するほどだった。
彼女の欠点といえばただ二つ。芝居に出かけることと、偽物の宝石を身につけたがること。さて、

 ある冬の日に彼女はオペラ座に出かけると、寒さにすっかり震えながら帰って来た。翌日、彼女は咳をした。一週間後に肺炎で亡くなった。(766ページ)

ランタン氏は絶望のどん底で、寝ても覚めても彼女のことを思い出しては泣くばかり。
ところが日が経つにつれて生活がどんどん苦しくなる。彼女が生きていた頃には何の不自由もなかった
のに、独り身になった今はとにかく金がない。彼女はなんてやりくり上手だったんだろう!
困ったランタン氏は、彼女が残したまがい物の宝石を売りに出かけるが・・・。


結末まで読むと分かることに、実に細部にわたって無駄がない。一文一文が伏線になっていて、
全ての要素が密にからまっている。
たとえば最初の引用。二度繰り返される「のように見えた」の言葉が、実はそれが客観的事実である
以上に、世間と、もっぱらランタン氏にとっての印象でしかないことを、暗に告げている。
ランタン氏の幸福ぶりを語る前半が後半に効果を現すのはもちろんのことながら、

 彼は彼女と一緒になって本当とも思われないほどに幸福だった。(764ページ)

の一文など、なんと痛切で辛辣な意味を含んでいることだろう。まさしく、彼の幸福は
「本当」のものではなかったのだ。
宝石を売りに行く時の彼は羞恥と屈辱とを感じながら、
しかし大金を得られることには喜びを感じないわけにはいかない。この辺りの心理も実に切実
で説得力がある。そして会う人に向って20万、30万、40万フラン、と手に入れた金額をどんどん誇張して
ゆくところなども、まったく冴えている。
加えて興味深く思われるのは結末のオチである。

 六か月後に彼は再婚した。二度目の妻は大変貞淑だったが、難しい性格だった。彼女は彼を大変に苦しませた。(771ページ)

 一見唐突で脈略もなく思われるこの落ちは何を意味するのだろう。
 唐突に思えるのは、ここでも作者の省略が利いていて、何の説明もないことによるだろう。
けれどよくよく考えると、これまた確かにかくあるべし、という結末であるように思える。
20万フランからの遺産が転がりこみ、仕事もやめてのんびり暮らせるようになったことは
確かに彼にとって幸運なことではあるだろう。しかしその代償に彼が失ってしまったものとは
何だろうか。
それはありえないほどに幸福だった「過去」の一切である。
妻が自分をずっと裏切り続けてきたという真実の発見は、それまでの彼の人生そのものが
いわば「偽物の宝石」でしかなかったことを告げている。こんなに残酷なことは
そうそうあるものではないと思う。偽物の過去しか持たないランタン氏はいわば
人生に大きな空白を抱えているようなもので、そんな彼が今さら幸福な人生を
再び得ることができるだろうか。
「彼女は彼を大変に苦しませた。」の一文に、そんな彼の置かれた状況の一切が、
何の説明もないけれども、でもくっきりと描き出されていると言えるのでは
ないだろうか。
私はそんな風に読みたいと思う。


1870年に出た新聞の三面記事に同じ題材のものがあり、あるいはそれが元ネタではないか
というような話もあるけれど、たとえそうだったとしても、モーパッサンの作品の深みは
三面記事をはるかに超えている。そして一年後、
偽物と思っていたものが本物、という本作をひっくり返し、
本物と思っていたものが実は偽物だったら、
という想定から「首飾り」が生まれるのだけれど、
それについては、またいずれ。