えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

旧友パシアンス

L'Ami Patience, 1883
ジル・ブラース、9月4日、モーフリニューズ。1886年『トワーヌ』に収録。
「旧友」というのは意訳であると念のため付言。
昔馴染みを話題にしているところに、ロベール・パシアンスの名前が挙がる。
ああ彼については話があるんだ、と語り手が話し始める。
四五年前、リモージュの町のカフェで、偶然に再会した彼と昔話に興じ、
食事に来るようにと誘われる。翌日、仕事相手の人物とその場所に着くと、

 そして僕は別れの挨拶にと手を差し出した。彼は乱暴で奇妙な仕草をし、でも何も言わずに僕が差し出した手を握った。(1巻972ページ)

玄関には絵画が掛けられ、東洋風のランタンが照らし、お香の匂いが漂っている。
豪華ではあるが俗っぽい装飾の部屋に通され、窓から中庭を眺めていると、
美しい女たちがまるで幻のように通り過ぎていく・・・。


この作品で名指しされないものとはずばり bordel (売春宿)の一語である。
モーパッサンはもちろん言語遊戯をしているのではなく、
ここで彼が戯れているのは当時の倫理コードに他ならない。絶対にその一語を
口にしないことで、テクストは表面的には、ブルジョア趣味丸出しでいささかいかがわしい
アパルトマンを描いているだけに過ぎない、ことになる。
(同様の手法は『メゾン・テリエ』なんかにも見られるものではある。)
「分からない」読者は、これは一体何なのかと興味をもって結末まで進むだろう。
だが基本的には「分かっている」読者が、作者との暗黙の約束を共有し、
一種の共犯関係を結ぶことにおいて、ある種の悦びを感じる。
これは、そういう「大人の」物語なのである。
ネタばらしの結末にしても、具体的な明示があるわけでは必ずしもない。

「そして私は無一文から始めたというわけですよ・・・妻と義理の妹と一緒にね。」(973ページ)


「真面目」な人にすればこんな不道徳な話もないのであるし、100年前のフランス社会には
真剣に激怒する真面目な人はたくさんいたのである。今はどうなのかはともかくも。
そういう意味で、高級社交的ブルジョア向け新聞というジル・ブラースの性格は無視でき
ないものであって、当時モーパッサンが執筆していたゴーロワ紙はもう少し保守的だったので、
作者は二紙の間で作品の性質を微妙に書き分けていたりもする。率直に言うと、
後発紙ジル・ブラースは、タイトルからして推察されるように、下世話ネタも載せちゃう
というのが売りだったのだな。
はじめは立派な紳士かと思わせておいて、次第に平凡な俗物の正体を現していった
パシアンス君が結末のこの台詞、ということで語り手ははっきり碌でもない奴だと
語っている、という点において作者および読者の道徳性は(かろうじで)保障されている
という点に注意しておいてもよい。しかしまあ「なんて不道徳な」というのが
(共犯的でありつつも)普通の読者の反応であるかもしれない。
ま、難しいことは言わず、短編作者の語りの妙味ここにあり、ということにしておきたい。


ちなみに毎度の伊狩論文は荷風「悪友」明治41年『あめりか物語』初収について
「このモーパッサンにヒントを得たものと察せられる」(39ページ)として「翻案」
としている。が、これについてはもう詳しくは論じない。「悪友」は
「正面から描写して失敗している」とは、しかしやっぱりいかがなものか。