えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

シモンズを読む

さて、宿題のつづき。シモンズのモーパッサン論を読んでみる。
論旨の展開があまり論理的じゃないので、大胆に要約すると
要点は次のようになる。
1 事物・人物の外面描写に秀でている。
2 人間を本能と欲望において捉えている=心理は不在
3 作家の「哲学」はシニシスム(ないし無関心)である。
4 モーパッサンは激しく人生を愛したがゆえに、人生を恐れた。
5 モーパッサンは面白すぎる。読者に抵抗を与えない作品は真に「偉大」とは言えない。
6 すなわち、モーパッサンは「ポピュラー作家」であった。
といったところ。
1は技法であり、2は作家の世界観・人間観である。2は1によって表現され、そこに3が介在する。
そうするとモーパッサンはただ「語るために語った」作家であった、という結論が出る。
ただ、3と4がどういう関係になっているか、シモンズはちゃんと説明していないっぽい。
5・6は日本の純文学・大衆文学の区別を想起させる理屈である。


世紀末の批評の標準レベルといったところだけれど、モーパッサンをちゃんと読み親しんだ
人ではないことがなんとなく覗けてしまう文章だ。
ひとつにはシモンズが象徴主義に肩入れしている人だから、「外面オンリー」(と彼が考える)
モーパッサンの点が高くなるはずがない。
もうひとつは彼がイギリス人であって、フランス80年代の自然主義の隆盛とモーパッサン
もっていたインパクトをダイレクトに体験していない、ということもあろう。
もとが翻訳作品集の序文ゆえに批判の言辞はないのだけれど、評価が低いことが透けて見える
のである(贔屓目のせいでしょうかね)。
この論の唯一オリジナルなところはモーパッサンが「ポピュラー作家」だと言い切った
ところにあるかもしれない(なんてこった)。フランス人で当時こう断言している人を私は知らない。
(こういうのは客観的判断を装っているけれど、実のところは「主観的価値判断」というものである。)
と、やや辛口な評価になってしまった。すまぬすまぬ。