えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

引用いくつか

後年の荷風モーパッサンを再読していたことを論じる際に不可避の証言。

「近頃またゾラを読んでみようと思つたが、いかにも古い感じで読み通せなかつた。それに比べると、モーパッサンは依然として新鮮である。昔はモーパッサンの小説のもつエロチシスムに興味をひかれてゐたが、この頃では全く違つた読み方をしてゐる。そして小説作法のうまさに感心してゐる。」
河盛好蔵荷風先生とフランス文学」、中央公論社版『荷風全集20』月報、『文芸読本 永井荷風河出書房新社、1981年に再録、107ページ。


モーパッサン流の自然主義的」なんとか、という定型句の一例。『新橋夜話』から『腕くらべ』あたりの叙述に見られる。

『新橋夜話』にしても、今日、読み返してみると、それが、いわゆる「花柳小説」と云うものではないということは明らかである。芸者と客との間の、心理的葛藤を「粋」というような美的理想の見地から讃美している、硯友社の作品と違って、背後に働いているのは、モーパッサン流の自然主義的観察と、レニエ風の世紀末的唯美的感覚である。
中村眞一郎荷風の生涯と芸術」、『永井荷風研究』、新潮社、1956年、坂上博一編『日本文学研究大成 永井荷風』、国書刊行会、1988年に再録、16ページ


フランス文学者による、ちょっと面白い見解。荷風にとって(19世紀後半)フランス文学は、全体として一個の理想をあらわしていた、という見方には一理あると考える。

荷風氏はフランスの近代文学はよく読んでいる人であるが、かねがね不思議な気のするのは、氏の鑑賞眼にはどの作家でもほとんど同じように映っているらしいことで、ゾラでもモーパッサンでも、レニエでもロチでも、あまり大差なく、いずれも芸術国の大芸術家というあつかい方がうかがわれる。こうしてかの国の文学をあまり批評的に見ない気分主義に、氏が天性の鑑賞家であって、葡萄酒の産地や年代を詮索する人間よりその香気をよく味到している通人を見るわけであるが(後略)
生島遼一「『家』と『つゆのあとさき』」、朝日選書20『日本の小説』、朝日新聞社、1974年、上記書に再録、232-233ページ。


結局、モーパッサンの何が大事だったんですか、という問いに対する一回答。「エロティシズム」は常に言及される点に留意。

 彼が異郷の半放浪生活の中で獲得したものは、孤独寂寞の悲愁に耐えつつ、それをむしろ味わいかみしめようとする気持とともに、真の自己の認識、個人主義的生活態度の確立であった。自由の持つ重みの中から、従来の観念的なゾライズムから脱出する機会を得、やがて同じ自然主義でも「自分の性情に近い」(中略)情緒的、官能的なモウパッサンに急速に接近していった。モウパッサンの都会的なダンディズムや、人生に対するペシミズム、洗練されたエロティシズムなどは荷風生来の気質に、ゾラよりもはるかに適合するものがあったのである。
宮城達郎「永井荷風フランス文学の影響―」、『國文学 解釈と教材の研究』、1967年2月号、77ページ。


ほぼ同様の見解。「現実観照」って、よく意味が分からないんだけども。

社会悪や人間獣を描く点ではゾラもモーパッサンも変りはないが、前者の如き大がかりな理論には煩わされず、むしろ世相を宿命的な人生の悲喜劇(ドラマ)として、明快平易な筆致で風俗小説的に活写する後者のレアリスムが、荷風の資質には遙かに適していた。加之時にモーパッサンの文学を流れるエロティズムは、江戸文学伝来の荷風の好色趣味とも相通ずるものがあった。彼がこの作家に「妖しきまでに思想の一致」を見出した所以であろう。
大西忠雄「モーパッサンと日本近代文学」、吉田精一編『日本近代文学比較文学的研究』、清水弘文堂、1971年、193ページ。


 かくて仏国より帰朝して数年後に書かれた色町物語集『新橋夜話』(明治四五)に於いては、彼が米国でモーパッサンから学びとった現実観照と短篇手法が見事な結実を見せている。舞台は荷風好みの花柳界だが、モーパッサン風の冷静な筆致で、適度に詩情をおさえた好短篇(特に『掛取』・『色男』等)に仕上げられており、恰も「春水とモーパッサン」とを合わせた(佐藤春夫荷風雑記』)近代的人情話といった趣きがある。
同上、194-195ページ。


一方、方法じゃないんだ、という主張がある。主張は正しいけれど、やや論証不十分かな。

 確かに荷風は、手法上・技法上においても、また題材の選択においても、モーパッサンに学ぶところが少なくなかったであろう。しかし、そのような外形的な影響よりもずっと重要なのは、内的な、精神的・思想的影響である。
 その第一は、小説における季節感の重要性ということである。これはロチやラフカディオ・ハーンから学んだところもあるが、絶大なのはモーパッサンの影響である。(中略)
 次に考えるべきは、モーパッサンの精神的・思想的影響である。といよりも、モーパッサンへの精神的・思想的共感、あるいは傾倒である。
大塚幸男永井荷風モーパッサン」、『近代フランス文学論攷』、朝日新聞社、1973年、168-169ページ。


「芸術上の革命」を強調しすぎるきらいがあるけれど、私は氏の見解に賛同する。青年永井壮吉君が、
とにかく貪欲に摂取したことだけは確かなのである。だからこそ論じにくい。

だから、ゾラからモーパッサンへという従来の図式ほどには荷風の実態は単純ではない。むしろ、範型は何かよりも、範型を求める試行錯誤なかで(ママ)、どんな芸術観に荷風がたどりついたかが問題となろう。
松田良一「『あめりか物語』論―芸術上の革命―」、『椙山国文学』10号、1986年、『永井荷風 ミューズの使徒』、勉誠社、1995年、55ページ。


最後に、後藤末雄の個人的回想。ちなみに、彼と荷風との「共著」『モオパッサン』は、
実は後藤氏が全部書いたもので、ついでにいうと中身は全部翻訳である。いいんだけど。

 その頃、私は一高の学生であり、覚束ないフランス語の力で、モォパッサンの原典を読んでいた。すると日本の自然主義に対する私の考が一変した。モォパッサンは、たとえ性欲問題を取り扱つても、その取り扱い方が綺麗であつた。閨房の秘事を芸術的に描写して、少しも汚らしい感じを与えないし、時には情感が流露して、ロマンチックな印象さえも感じたのである。それに文章も至つて流麗で、古典的な格調を帯びていた。
 「本場の自然主義と日本の自然主義とは、こうも違うものかなあ・・・」と私は屡々驚いたのであった。
後藤末雄荷風文学とフランス文学」、『国語と国文学』、1959年7月号、1ページ。