えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

モーパッサン、フロベール、オルラ

『エラクリウス』の元ネタは他にもあるかもしれない、
となれば、欠かせない書があることを忘れてはいけない。
ということで久し振りに再読。
Jacques BIENVENU, Maupassant, Flaubert et le Horla, Muntaner, 1991.
この本はモーパッサンと『オルラ』に関する画期的な解釈を提示するものだけれど、
作者の無意識を問題にする限りで、異論・反論は必ずついて回る。
それはいかがなものなのか、と思いもしつつ、しかし論旨は精緻でよく出来ている。
なんというか推理小説的な解読の楽しみを味わえることは確かなのである。
問題は Alfred Le Poittevin なる人物である。今日、フロベール好きでもなければ
知る由もないこの人物は、モーパッサンの母方の伯父だった人。
若い頃のフロベールの大親友であったが、彼は若くに亡くなった。
ちなみにアルフレッドも作家を志す人物であった。
問題はここからである。
フロベールにとって、ギ・ド・モーパッサンの登場は、かつての親友アルフレッドの
「再来」の意味を担っていた。フロベールの目には少なくともそう映ったほどに、
伯父と甥とはよく似ていたらしい。
フロベールモーパッサンの内にアルフレッド・ル・ポワトヴァンを見ていた。
さてアルフレッドが遺した作品に「ベリアルの散歩」Une promenade de Bélial というものがあり、
なんとこれが輪廻転生を主題とした小説なのである。
しかもアルフレッドの説く輪廻説においては、生まれ変わった存在は
前世の時と、姿形がよく似ている、ということになっているのである。
つまり、「同じ姿で生まれ変わる」と言い残した伯父さんと
お前はそっくりだ、とフロベールモーパッサンに告げ知らせたのである。
これが因縁でなくてなんであろう。
この宣告を受けたモーパッサンにとっては
自身は一度も見たこともない伯父が
ドゥーブルとして存在することになった。
これが、だいたいのところビヤンブニュの立てる論である。

確かに、彼は無意識の内に、自分を伯父の再生であると信じるように仕向けられたのである。(80ページ)

そこから、鏡やドゥーブルといった、モーパッサン作品に繰り返し現れるテーマは
この見えざる伯父の脅威を払いのけるためのものであった、
という精神分析的な解釈がなされるのであり、
つまり、目に見えずに主体を脅かす存在であるオルラとは
すなわち亡きル・ポワトヴァンであった。
という結論に至るのである。


ま、この斬新な解釈の当否は今はいい。
問題は『エラクリウス』であるが、もろに輪廻転生を扱った
この作品の元ネタも当然「ベリアル」であったはずであり、
まだ十分に健康だったモーパッサンはドゥーブルのテーマを
嘲弄とアイロニーによって扱っているけれども、ここに既に
ルフレッドの存在は明確に見てとれるのだ、とビヤンブニュは言うのである。
なるほど。そうなのかもしれない。
うーむ。
困った私は、とりあえずル・ポワトヴァンの本を注文してみるのでありました。以上。