えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

聖水授与者

Le Donneur d'eau bénite, 1877
11月10日「モザイク」という週刊誌に掲載。プレイヤッドでいうと
『剥製の手』『エラクリウス』『水の上』の次にあたる、ごく初期の短編。
5歳の子どもが行方不明になり、両親は家を売り払って探索の旅に出る。
もちろん、そう簡単に見つかるはずもない。やがて二人は、
巡り巡ってパリに着く。すでに15年の月日が経った。
ある教会の老いた聖水授与者と親しくなるが、ある厳しい冬に彼は亡くなり、
父親がその跡を継ぐことになる。毎日教会で過ごし、ミサに多くの人の訪れる日曜を待ち望む。
ある時、母娘と、二人につきそう青年がやって来る。青年の姿をかつてどこかで見た記憶が
あるが思い出せない。父親は母親を連れてきて、彼女に訊いてみると、
かつて若かった頃のあなたに似ているんですわ、と母は答える。
そして彼は、青年に向かって「ジャンかい?」と尋ねる・・・。


どさ回りの曲芸師に連れ去られたジャンは、ある老夫人に養育され、その財産を受け継いだのだった。

彼もまた両親を探したのであった。けれども彼はこの二つの言葉「パパのピエール、ママンのジャンヌ」しか覚えていなかったので、見つけ出すことはできなかった。今や、彼は結婚を控えており、大変善良で、大変に可愛らしい婚約者を紹介したのだった。
(1巻64ページ)

その晩、せっかくの幸運が逃げ出してしまうのが心配で、老夫婦は遅くまで起きて話し合った。

だが彼らは執拗な不幸を既に使い切っていたのだった。それというのも死の時まで幸福であったのである。
(64ページ)

これがモーパッサンかいな、と驚くほどのハッピーエンドである。これは一体なんなのか。
明らかに彼はまだ独自の領野を発見していなかったから、「お約束」の型にはまった物語しか書けなかった。
という解釈はもっとも単純でもっとも明快だ。この次の「ラレ中尉の結婚」もまた「絵にかいたような」お話
である点で同型的である。
一方でフォレスチエも指摘するとおり『シモンのパパ』とあわせて、「捨て子」ないし「父の発見」という
テーマが当時のモーパッサンにとって重要だったことは想像に難くなく、そのことは
10歳の時の両親の別居、その後、母親と親密な関係を結ぶ一方、冴えない父親に対してはある種の軽蔑を抱く
に至った、という彼の個人的背景を思い出させるに十分だ。そうするとここに描かれているのは
フロイト的な、典型的な「家族小説」というものであり、意識的な、あるいは無意識的な
願望が、あからさまな形で表出している、ということになろう。
そういうものであるが、しかしそんな風に「説明」してしまうと
なんだか味気なさだけが残るようでもある。むずかしいものだ。
ちなみに聖水授与者というのは、教会の門のところで、入ってくる人、出てくる人に聖水をかけてあげる
人のことで、一応教会に雇われていたものらしい。実際のところは施しで生活していたものと思われるけれど。
貧者であるが聖者にも近く、つまり父親は一種の殉教者になぞらえられていると言える。
であればこれは卑俗化した現代の聖者伝ともいうべきもので、にもかかわらず奇妙なことには
神への感謝が述べられることはない。よく考えれば、この両親が信者であったのかどうかさえ、
明確に述べられてはいないのである。ならばこの再会は、奇蹟とは解釈されえないことになるだろうか。

彼らはあらゆる広場、あらゆる通りを訪れ、目に入ったあらゆる人だかりに足を止め、思いがけない幸運な出会いを、驚くべき偶然を、運命の慈悲を願った。
(62ページ)

une rencontre providentielle, quelque prodigieux hasard, une pitié de la destinée
の含む意味はしたがってとても曖昧だ。フォレスチエも「恩寵の姿をとる」偶然こそがモーパッサン
人間観を支配するものと捉えている。その「偶然」は個人にあっては「運命」の重みを持つにしてもだ。
モーパッサンの描く世界は「不条理」にあふれており、その意味で彼が実存主義に近いところに立っていた
という指摘はあちこちで見かける。しかし「偶然」という名の「運命」に支配される彼の世界にあっては
主体の自由というものは存在しえないことになるだろう。
『聖水授与者』の結末が明らかに作り物めいた印象を与えてしまうという事実は、
実はそこに、作者の悲観的世界観が既に窺われる故なのかもしれない。