えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

モンジレじいさん

Le Père Mongilet, 1885
ジル・ブラース、2月24日。『トワーヌ』所収。
5月14日『ヴォルール』、86年5月23日『ラ・ヴィ・ポピュレール』。
1891年『ラ・スメーヌ・ポリティック・エ・リテレール』、92年7月2日『プチ・ジュルナル』再録。
(再録紙の多さは、おおむね後の知名度とも比例しているといってよい。ということは
再録紙の編集者は「おいしいとこ」だけを賢明に選択している、ということなんだろう。)
時を下って、『狂人の手紙』の一つ後の作品。
実はこの作品、『あるパリジャンの日曜日』第3話「友人の家で」のリライト。『ベラミ』の最終章校正中で
忙しかったのだろう、という話。手持ちの材料を縦横に使いこなせるようでなきゃ、流行作家はやってゆけません。
もっともそのままではなく、三人称からモンジレじいさんに語り手を移し、徹底した「小役人」の物語に内容を
純化させ、結末の意味合いも微妙に変わっている(とはフォレスチエの指摘)。

 職場ではモンジレじいさんはある典型で通っていた。善良な老勤め人で、人生で一度しかパリを出たことがなかった。
(2巻467ページ)

冒頭は「我々」とモンジレとの会話。若い「我々」がセーヌ河畔に遊びに行くことを語ると、
モンジレは、自分は乗合馬車でパリ中を巡るばかりだと語る。ボードレール的な下町巡りに
ついての言葉の後、20年前にただ一度、郊外に遊びに出た時の回想を始める。
古い友人ボワヴァンが、しきりに郊外の彼の家に遊びに行くように誘う。
(ボワヴァンはモンジレ Mongilet(わがチョッキ)をマキュロット Maculotte(わがズボン)と呼ぶ。)
さて朝から出かけてゆくと、醜く汚い上におっかない奥さんに迎えられ、
ボワヴァンはモンジレに、周囲を壁に囲われて日の当たらない貧相な庭を見せ、
自分の代わりに水撒きをしてくれと頼む。ポンプで水をくみ、ズボンをびちゃびちゃにしながら
どうにか終えると、ようやくわびしい食事に招かれる。もそもそ食事をし、
奥さんに追い出され、二人は散歩に出るが、野原で草をつめば指を怪我し、どこも堆肥の匂いのする始末。
ようやく河まで出るが、水は濁って臭いし、太陽は照りつけて暑いばかり。
安食堂で酒を頼むと、ボワヴァンは酔っ払って暴れ出し、
外に連れ出し、二人して眠り込んでしまって、目を覚ませば真っ暗。
帰ろうにも道が分からず、野原で迷うこと二時間、ようやく近くの農夫に助けられ、
家に着くと、おっかない奥さんが待ち構えていた。

まったく、わたしは逃げ出して駅まで走ったさ。そして怒った女が追いかけてくるかもしれないと思ったんで、トイレに閉じこもったんだ。だって汽車は一時間半後にしか来ないんだから。
 そういうわけで、わたしは決して結婚しなかったし、もうパリから外へも出ないのさ。
(472ページ)

典型的な笑い話でありながら、最後はいかにもペシミスティックな落ちとなっている。
パリの「小役人」ものの代表的な一編で、
モーパッサンは長い間小役人生活をしていたから、その貧乏と惨めさは知悉していた。
彼らの生活を描く時は、皮肉で辛辣ながら、どこか同情を寄せるところがある。
しみじみおかしいユーモアの技芸が冴えているのはいつものことながら、なんともいえない
情けなさぶりが実にうまい。酔っ払いの友人 Boivin には boit vin(ワインを飲む)を読みとっておきたい。
それはそうと冒頭のモンジレじいさんの下町巡りの言葉が興味深いところだ。
こういう箇所を読むと、パリに行きたくなるというものである。

それから私は自分の屋上席にのぼって、傘をさして御者に鞭打つのさ。おお! そこからわたしは見るんだ、たくさんのものを、あんたがたよりもね! わたしは地区を移動する。まるで世界中を旅しているようで、それほど通りから通りへと民衆は異なっているもんだ。わたしは誰よりもわたしのパリを知っているよ。それから、中二階ほど面白いものは他にないね。そこに一目目に入るものったら、想像もできないもんだ。叫んでいる男の口を見るだけで、家庭の色んな光景が目に浮かぶ。通りすがりに散髪屋をからかうと、鼻をシャボンで真っ白にした旦那を放って、通りの様子を眺めるのさ。帽子屋に目をくれて、目と目でおかしな話を交わすんだ。降りて行く時間はないからね。ああ! なんてたくさんのものを目にするだろう!
 それは劇場さ。よく出来た、本物の、自然の劇場を、二頭立ての馬の速足の上から眺めるんだ。はは、あんたがたの森の散歩なんかと、わたしの乗合馬車の散歩を交換する気なんかありゃしないよ。
(468ページ)