えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

恥辱

脈略もなく唐突に現代文学を読む。
J・M・クッツェー『恥辱』鴻巣友季子 訳、ハヤカワepi文庫、2007年。
実にハードな作品にくらくらする。
19世紀のリアリズム小説にはなんだかんだ言ったって、作者の側に尊ぶべき理念があった。
その限りでそこには一種の「安定」というものがある。作者の立つ位置に読者も立つならば、
世界はクリアに見通せるという「安心」のようなものがある。それが
現代南アフリカ、ないし西洋社会においてはもう、
正義も進歩も自由も愛も宗教も、芸術も含めて何もかも確固たる基準になりえない
のだね、というようなことを読みながら思う。そんなことは分かってるんだけどもさ。
これは確かに方法的にリアリズム小説と呼んでいいものと思うけれども、
でも全然古くない。そして大層落ち着かないのである。
すごいなあと思う。痛々しいなあとも思う。
「犬のように」恥辱にまみれた挙句に、その恥辱さえ突き抜けた世界がほの見える。
全然明るくない。でもそれしかないのだ。溜息でもつくしかない。