えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

あついあつい

せっかくなので不倫の話の続き。
リュヌ伯爵夫人の後継として真っ先に浮かぶのはやはり
「あだ花」L'Intuile Beauté (これはよい訳語)の主人公ガブリエル・ド・マスカレ伯爵夫人だろう。
彼女は「忌まわしい牡による支配」「出産という強制労働」(まさしく「産む機械」だ)に敢然と反抗する。
女性としての自由と独立を譲らずに男を苦しませる、『我らの心』のミシェルと、このガブリエルは、
モーパッサンが描いた「解放された女性」の代表であることは疑いない。
そこにもう一人、劇作『家庭の平和』のマドレーヌ・ド・サリュス夫人を付け加えておくべきだろう。
彼女もまた夫に堂々と宣戦布告する女性。同じ演劇という点を考えれば、彼女こそもっとも正統な後継者にふさわしい。
しかし、上記二作は1890年発表。芝居が書かれたのも同じ頃で、上演は1893年になってのことだった。
リュヌ伯爵夫人との間には十年以上の開きがあるのである。
1884年、85年頃からモーパッサンは上流ブルジョアのサロンにも出るようになり、そこで文化的先端をいく
知的かつ洗練された趣味を持つ女性たちと出会った。
そのことで、モーパッサンの女性観は変わり、その反映として上記の作品が生まれた。
というのがモーパッサン研究者の基本的見解であるようだ。それ以前のモーパッサン
女性を欲望の対象としてしか見ないごりごりマッチョな男性中心主義者だった、という前提が
そこにはあるのである。
でもそこでは明らかに『リュヌ伯爵夫人の裏切り』が見過ごされている、ように私には思われる。
私は別にごりごりマッチョなモーパッサンを弁護するつもりはない(はずなんだけど)。その一面は確かにあり、
とりわけデビュー当初はその面を強調して見せたのは本当だと思う。
でもね。
というのはやっぱり弁護になってしまうのだろうか。


それはそうとNotre cœur を『男ごころ』と訳したものもあるけれど、
この訳は私としてはいただけない。女性の心も同時に問題になっているのだから、どうせ意訳するなら
『男と女』とするぐらいの心意気がほしい。と思う。