えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

シギ

Les Bécasses, 1885
ジル・ブラース10月20日。『パラン氏』所収。
「ラ・ランテルヌ」1889年2月24日再録。

 親愛なるあなたへ。どうして私がパリに帰らないのかとお尋ねですね。あなたは驚き、ほとんど気を悪くしていらっしゃる。これからお話する理由を聞けば、きっとあなたは怒ってしまうでしょう。でも山鴫が通る時期に狩猟家がパリに帰ったりするでしょうか?
(2巻563ページ)

前半は「私」と友人のドルジュモル兄弟が、ノルマンディーの田舎に残って鴫が渡ってくるのを待ち、
森に霜が落ちるのを待って、犬を連れて狩に出かけてゆく話。土地の農夫ピコとっさんの家に泊めてもらい
いよいよ狩に出て、語り手は一羽のウサギを仕留める。
そこでピコが使っている羊飼いのガルガンに出会う。彼は聾唖だった。
彼が妻を殺したのを知ってますか? とピコは言い、その物語を話し始める。ここからがいわば後半。
ガルガンがピコに雇われるようになった頃、農婦のラ・マルテルが15歳の一人の娘を残して亡くなったが、
大変にブランデーが好きなので La Goutte「しずく」と綽名されていた。
彼女もピコに使われるが、どこででも、誰とでも寝る娘だった。
けれどいつからか、彼女はガルガンと暮らすようになる。土地の神父が怒るので、
皆は二人を正式に結婚させた。

 ところがやがて、この哀れなガルガンを寝取られ夫にすることが、土地の遊び(この下卑た言葉をお許しください!)となったのです。彼が結婚する前は、誰もラ・グットと寝ようなんて思いませんでした。でも今や、誰もが自分の番の笑い話を待つようになったのです。誰もが一杯の酒で、夫の背後を通って行きました。その事件は周囲にまでたいそう評判になり、ゴデルヴィルの旦那方も見物にやって来ました。
(569ページ)

ついにある日、ガルガンは現場を発見し、怒りに我を忘れた彼は妻の首を絞め・・・。


普通の短編の倍近い長さの作品。初めから終わりまで一直線に進む緊密な短編とは趣向がだいぶ違う。
タイトルの鴫も主題ではない。手紙という形式もあわせ、前半はクロニック(旅行記)の面が強く、
後半は純粋なコントになっている。
そう言ってしまうと雑駁な感じがするけれど、しかし前半後半を切り離してしまってはやはり駄目で
前半が後半の舞台設定になっているともいえるし、両者のコントラストに妙があるともいえるし、
いろいろな要素がまざりあって、結果として複雑な味わいの作品に仕上がっている。
にしてもすごい話だ。
ほんまかいな、という田舎の風俗は『女の一生』にも出てくるし、ある程度は事実だったのだろうけれど、
しかしまあ身も蓋もなさには驚かされる。こんな話を女友達に書き送る語り手が何を考えているのかは
にわかには理解しがたい。
ガルガンが哀れであるのは本当だけれども、最後の裁判の場面など、読者の安易な共感を吹っ飛ばすもので
「この男にも名誉があるのですよ」というピコ親父の言葉も、納得していいのかどうか判断に迷う。
何ともいえないしこりとともに、こういうこともある(あった)かもしれない、という
リアリティーだけがしっかり残るのである。後味は全然よろしくない。
ガルガンの物語が、結婚、所有、名誉、主従関係の意味について我々に問いかける、とフォレスチエ先生は言う。
まったくその通りであるが、しかしまあ本当にここには問いしかないといっていい。

 以上、どんな風に私が渡ってくる山鴫を狙いながら時を過ごしているかでした。同じ時、あなたも森へ出かけ、冬の最初の衣装をご覧になっているのでしょう。
(571ページ)

とはなんとまあ、突き放した終わり方だろうか。
こういう作品を読むと、モーパッサンにはかなわいところがあるな、としみじみ思わされる。


ちなみにモーパッサン自身も狩猟好きだった。彼の猟犬の名は Paff といったとフランソワは証言を残している。ぱふ。