えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

学会誌を読もう(4)

そういうわけで続き。


原大地「詩と不毛性 −マラルメユゴーボードレール」, p. 140-154.
60年代のマラルメの詩を「不毛性」の観点から検討する論文で、
「鐘撞き男」とボードレールとの比較から、ボードレールにはまだあったロマン主義的な
詩人像がマラルメには不在であり、詩が書けないのは純粋に彼個人の問題に限定されていること、
そして「花」とユゴー「女の祝祭」との比較から、叙事詩的主題のマラルメ的変奏を検討する。
ロマン主義を背景に浮かび上がるマラルメ独自の「不毛」という主題は、デカダンスを越えた
独自の地平へと詩を導く、という末尾の展開はやや観念的な説明に終わっていて私にはついて
行きにくいのではあった。それにしても今時珍しいような硬派な文章が見事なのである。


坂本浩也「パリ空襲の表象(1914-1918)−プルーストと「戦争文化」―」, p. 155-167.
「戦争文化」とは戦時に作られる「表象の体系」であり、具体的には戦争の正当化や賛美の
ステレオタイプな言説を指す。論者は当時の大衆芸術にこの種の言説の具体例を見た後、
『失われた時』の考察に移り、シャルリュスとサン=ルーの言説を例に戦時のイデオロギー
を相対化し、「戦争文化」を素材としながらこれに抗するプルーストの独自性を指摘する。
当時ドイツ軍の爆撃をワーグナー音楽に喩えるのがクリシェだったという指摘が興味深く、
愛国者でありながらワーグナー愛好家サン=ルーの両義的な造形の意味を明らかにする
件りなどに成程と頷く。


藤田尚志「唯心論(スピリチュアリスム)と心霊論(スピリティスム)−ベルクソン哲学における催眠・テレパシー・心霊研究―」, p. 168-183.
本論集中最硬派の論文の要約は私には無理なのだけれど、一般にオカルトとして敬遠されるような
テレパシーや心霊研究にベルクソンが取り組んだのには必然があるということ、
あるいはそこにこそ彼の哲学の核心がある、という指摘(と思う)であり、議論の射程の広い意欲的な
論文であることは間違いない。傍点を振られた「だが、これですべてなのだろうか?」という若干
村上春樹的な一文に脱帽。格好いい。でも引用文中の言葉を換えちゃうのはちとやりすぎでは
なかったでしょうか。訳語とはいえ。


という訳で本日はやや腰が引け気味ながら、180ページ読了で、
個人的「学会誌を読もう」キャンペーンはおもむろに終了するのである。
最後に全体の感想を挙げておくと、
中世、16・17世紀がなくて、新しいところはベルクソンまで、
そいでフロベールマラルメ(3本)、プルーストが揃っている、というあたり、
今の仏文界の縮図が見えないこともないような号となっているのでした。17世紀以前には
ぜひとも奮起してほしいと思う。
そういえば仏文学会誌は今や
CiNii Articles - 日本の論文をさがす - 国立情報学研究所
で最新号を除いて全部閲覧可能なのでもある。
いやもう、本当に面白いんだってばさ。