えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

自殺

Suicides, 1881
「ゴーロワ」8月29日。
推敲を経て1883年4月17日「ジル・ブラース」に再録、モーフリニューズ。
「アナール・ポリティック・エ・リテレール」1884年8月10日、「エコー・ド・ラ・スメーヌ」1889年7月7日、
「ランテルヌ」別冊1890年8月10日、「ラントランシジャン・イリュストレ」1891年4月30日、
「プチ・ジュルナル」1892年10月29日に再録。1884年『ロンドリ姉妹』所収。
単行本ではジョルジュ・ルグラン献辞つき。友人だったけれど詳細不明な人。ジャーナリストで
多分「シエークル」紙の編集に携わっていた。
新聞に自殺に関する記事の載らない日はない、という出だしで、人はその真相を知りたいと思うが
いつも謎に包まれていると説く。「我々の手」にそうした自殺者の手記が届いたので、以下にお見せしようという。

我々はこれが興味深いものと信じる。いつもあの絶望による行為の背後に人が探すような、重大な破局が明かされているのではない。けれども、人生のささいな悲惨さのゆっくりとした連続、孤独な存在の、夢消え去った後の宿命的な破滅を示しており、あの悲劇的な最期の理由を教えてくれている。神経質な者、敏感な者だけが理解することができるだろう。(1巻175ページ)

手記の内容は、30年にわたって繰り返された生活への幻滅と未来のなさへの絶望がつづられており、
消化の悪さが致命的なのだと説く。その日、憂鬱にとらわれた彼は古手紙を整理しようと思い立った。

 おお! 決してあの家具に、昔の手紙のあの墓場に触れてはいけない、生きていたいのなら! もしも偶然にそれを開き、両手にしまわれていた手紙を抱えたなら、目をつぶって一語も読まず、忘れていながらそれと認めることのできる筆跡が、一撃にあなたを思い出の海に投げ出さないようにしたまえ。この死すべき紙片を火にくべたまえ。それが灰になったら、なおもそれを踏みにじり、見えないほど細かくしてしまうのだ・・・そうでなければ、あなたは失われてしまうだろう・・・一時間前から私が失われてしまっているように!・・・(178ページ)

彼は手紙を読み返し、思い出に苛まされ、全てが過去に消えてしまったことを理解する。最後に開いたのは
7歳の時に自分が記した母宛の手紙だった。

 終わったのだ。私は源にまで遡り、突然に振り返って残りの日々に直面することとなった。醜く孤独な老衰、近づく障害を目にした。すべては終わった、終わった、終わった! そして私の傍には誰もいない!
 拳銃はそこに、テーブルの上にある・・・私は装填する・・・決して古手紙を読み返してはいけない。


 このようにして空しく過去の生涯を漁った多くの者は、そこに大きな悲痛を見出して自殺を遂げるのである。(180ページ)


最初の題は「人はいかにして自分の頭を撃ち抜くか」という題だった。
語りの形式は明らかにジャーナリスティックな時評文であり、「三面記事」を題材にしている。
しかし普通に人が想像する大波乱とは違う、真実とはこのようなものなのだ、と提示するわけであり、
ジャーナリスト・モーパッサンとレアリズム作家モーパッサンとの取り結ぶ複雑な関係をそこに見て
とれる。「パリのブルジョアの日曜日」10回で実質打ち切りの後に掲載されたこの短編には、毎度フォレスチエ
先生の指摘の通り、作者のペシミスムの思想が凝縮した形で表明されていると言っていい。
繰り返される日常の生み出す倦怠と絶望は『ベラミ』にも『死の如く強し』にも濃く影を落とすことになるだろう。
それが既にこの時点ではっきりと現われているということに驚かされる。古手紙のエピソード
は『女の一生』にも取り入れられることになる。
ま、あまり真面目にとりすぎないほうがいいのかもしれないけれども。
ところで古手紙を整理して燃やすということがモーパッサンにとって重要だったのは、
それをするフロベールの姿を彼は目にしたからなのだった。死の一年ほど前、クロワッセの
住居にモーパッサン呼んだフロベールは、一晩かけて古い手紙を整理し、残したくないもの
を火にくべていった。1890年に書かれた文章に、その時のことが記されている。