えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

アロクール「月光」

問題は1884年8月17日「ゴーロワ」掲載の「月と詩人達」と題する文で、冒頭にはマラルメの名も見える。
ここにアロクールの詩が引用されているのだけれど、ジャック・デュポンの丁寧な注釈も、知ってること
しか言ってくれないジェラール・ドレーズマンも、原典がどこか突き止めていない。
デュポン(フォリオ『水の上』)は探したけど見つからなかったとちゃんと述べている。
とりあえずこんな詩だ。

それから温かく、風の吹く黄金の時代。
月は生きた囁きの声に満ち溢れた。
底なしの海があり、無数の川があった。
動物の群れ、都市、涙に、陽気な叫び声
月には愛があった。芸術、法律、神々があり、
     それからゆっくりと影の中に帰って行った。

さて恐るべしはインターネット、一行目の詩句を放りこんで検索すると、
http://www.recmusic.org/lieder/get_text.html?TextId=7183
に行き着いた。
Charles Koechlin (1867-1950), "Clair de lune", in 4 Poèms d'Edmond Haraucourt, op. 7 no. 1 (1890), orchestrated 1894.
である。シャルル・ケックランが曲をつけている一曲目の「月光」こそ、モーパッサンが引用している
詩に他ならない。
わーお。
ま、これだけでは原典を突き止めた、という話にはならないのであって、モーパッサンがどこで知り得たのか
が分かったわけではない。しかしとりあえず詩の文句はぜんぶ知ることができた。
昔地球が熱かった頃に、吐き出した塊が月となり、やがて冷えてそこに文明が生まれ、いろいろ生まれて
愛も生まれたけれど、やがて冷えて固まった。
最後の節だけ訳させてもらおう。

それ以来、若く熱かった口づけを感じさせるものは何もない。
老いた地球は、まだ天上に月の姿を探している。
全ては露で・・・だが夜には、はかない星が空をよぎる。
そして音もなくさ迷うその姿を見て、人は言うだろう。
亡くした子供の魂が夜になると戻って来て、
母親が眠っている姿を眺めているのだと。

なるほど、なるほど。
文学研究者がせっせと図書館で文献を漁ってもよう分からんでいた一方、
曲がついた当の詩は、今でも立派に歌われてCDも出ているのであった。
そういうこともあるだろう。
とまれ、今はよい時代であるということで、またもテクノロジーの恩恵に浴してしまった
のでありました。