えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

荷風、白鳥こぼれ話

 昭和十三年秋に、アメリカのモーパッサン研究家アルティーヌ・アルティニアンという人が、モーパッサンについてのアンケートを世界中の知名な文学者に向って発したことがある。わが国では荷風と正宗さんのところにそのアンケートが来たが、荷風は答えず、正宗さんも、たしか鶴見祐輔から私が英語に翻訳するからお答えなさいとすすめられたにも拘わらず、「面倒臭いから返事を出さなかつた」と私に話されたことがある。このアンケートは世界中の知名作家百四十七名の回答をえて、昭和三十年に『モーパッサン是非』と題して刊行されたが、もし正宗さんのモーパッサン観が紹介されていたら、きっと異彩を放ったであろうに、まことに残念なことであった。
河盛好蔵、「白鳥とモーパッサン」、『河盛好蔵 私の随想選』第5巻「私の日本文学II」、新潮社、1991年、325頁)

こらこら、めんどくさいはないでしょうが、めんどくさいは。
とまあ思うわけだけど、それにしてもアルチニアンが日本にまで手紙を出していたとは驚きで、
実にもの好きというか、涙ぐましいというか、なんというか。
Artine Artinian, Pour et contre Maupassant : enquête internationale, 147 témoignages inédits, Paris, Nizet, 1955.
がその本である。で、凄いことには
http://www.maupassantiana.fr/Documents/Reception/PouroucontreMaupassant.html
にベナムー先生は主要な回答を転載されておられるので、その分は簡単に読めるのである。
フランスではカミュとかセリ−ヌとかサンドラールとかドリュ・ラ・ロシェルとかジュリヤン・グラックとか
ジュリヤン・グリーンとかロジェ・マルタン・デュ・ガールとかヴァレリーとか、
1950年時点における大物はほとんどすべて取り揃えて壮観なのであるが、
彼等全員揃って「モーパッサンはそんなに読んでない、読んだのは昔のこと、特に
関心ない、意見もない、関係ない、昔の作家」というのである!
ほとんど唯一ジョルジュ・シムノンだけが、モーパッサンはちゃんと評価されてしかるべきだ、
という意見を述べている。
これは大変に興味深いことであって、しかもそれが外国の作家の好評価と見事な対比を見せている
という点がまた実に特徴的なのである(そうでなければアルチニアンもこんなアンケートしなかったろう)。
実にはっきりしていることに、フランスでは「モーパッサン」とは1950年時点で完璧に過去となった
19世紀ベルエポック期の作家の代表というか象徴的存在だった。一言で言って「古かった」。
もっとも、この場合はそういうイメージが先行したが故に、実際のところ彼等は
モーパッサンをちゃんと読んだわけではなかった(と多くは告白している)という事実がある。
モーパッサンという人は、生前にあまりにも世間に受け入れられた作家であったがために、
その時代の変化のあおりをダイレクトに受けてしまった人である。
「20世紀文学」の創造を志す作家がこぞってモーパッサンを否定的に捉えたのは、
従って必然であったといっていい。
が、結局のところ、それは彼等の文学的立場以上の何かを語っているわけではない。
私はそう思う。
ま、そういう話がある。
話は戻って荷風さんも白鳥さんも、従ってめんどくさがらずにアンケートに答えていれば、
こういう面子と並んで「異彩を放」つことになったのである。
昭和13年というのが本当であれば、この時点で荷風モーパッサン再発見をしていたかどうか
今ちょっと詳らかにしないけど、白鳥は例のシニカル節で独特の意見を吐いたかもしれない。
残念といえば、確かに残念なことであったかもしれない。