えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

美貌の友

モオパッサン著、廣津和郎譯、『美貌の友(原名ベラミイ)』、天佑社、大正11(1922)年10月20日発行、11月20日20版
というのを購う。写真は外箱で、お値段はちなみに2100円。
ポイントは右下隅にある(改版)の文字で、
これは実は天佑社版『モウパッサン全集』の第1巻にあたり、初版は大正9年に発行
のはずが即発禁をくらってしまったのである。
「改版」とはつまり「駄目」な箇所を削除しましてここにようやく刊行相成りました、
ということだあね。泣ける話だ。
それがまた一か月で「20版」(今でいう20刷)も出るのだから、これまた凄い話で
まさしく「待望」の刊行ということだったんでしょうか。
ちなみに、
鴻巣友季子、『明治大正翻訳ワンダーランド』、新潮新書、2005年
の第13章は、この広津和郎訳をめぐってのお話である。題して「発禁、伏せ字を乗り越えて」。
正確にはこの『美貌の友』は『ベラミ』の初訳ではなく、
大正3年には既に別の人の訳が出ている。
Webcatで引くと、
ベラミー / モウパッサン著 ; 小野秀雄譯<ベラミー>、東京 : 以文館, 1914.5
(だけど、
ベラミー / モウパッサン著 ; 小野秀雄譯<ベラミー>、東京 : 向陵社, 1914.5
というのと何がどうなっているのか、今一つ不明。)
が、関東大震災のあおりで天佑社が潰れた(らしい)後、新潮社をはじめ、広津訳は余所でも
版を重ねた。途中で仏語原典にあたり、戦後は『ベラミ』
の題に変えられたのは、「化粧品」みたいだったからという。
そういう訳で、頑張って比較検討すればどこが「削除」該当箇所かも分かろうというものだけれど、
今日はそういう話ではなく、
巻末に全集の広告文が載っているのだけれど、それがなんか凄いというお話。
こんなのだ。

モウパツサンは自然主義小説家の泰斗なり。彼の描ける人生は赤裸々にして生命本然の儘なり。其の技巧に至つては天才の技倆實に驚嘆に餘りあり。彼の作物全部は殆ど大膽なる性慾描寫なりと雖も明確清澄の主觀と嚴正無飾の描寫は却つて人の襟を正ふせしむるものあり。自然主義、寫實主義の極致を解し、フランス藝術の粹を味はんとする人は速かに本全集に來れ。

「作物全部はほとんど大胆なる性欲描写なり」って、それじゃ田山花袋と変わらないじゃ
ありませんか。「といえども」がいかにも取って付けてあるように見えるんですけど。
「天才の技量実に驚嘆に余りあり」とか、
「襟を正(しゅ?)うせしむる」というのも大げさで良い。実に
「速やかに本全集に」走りたくなる(ならないか)という意味では、これはなかなか
よく出来たコピーである。しかしまあ、時代がかっていること。
で、その後に全15巻の紹介文が並んでいて、これがまたあちこち凄い。
件の『美貌の友』はこんなの。

性慾の権化とも稱すべき青年が、其美貌を恃んで盛んに獣的生活を縦にしながら、巧みに自己の社會的地位を高め行く經路を最も大膽露骨に描寫したる有名なる大長篇傑作也。

いやまあ、間違ってないんですけど、よく出せましたね、こんなので。ある意味挑戦的。
他のもなかなかいい味が出ている。

弐編(八版)
前田 晁 譯 生の誘惑
或る特異の社会に身を置かれたる處女が幾多の情波に掀飜せられ遂に生の誘惑に身を委ぬるに至る心理状態を描寫せるモウパツサン作品中有數の傑作なり。

とか(「生の誘惑」は「イヴェット」で岩波文庫にも入っていた)、

第四編(四版)
宮島新三郎譯 狂へる戀
本巻は中篇程度のもの狂へる戀外拾九篇を輯む何れも微妙なる心理を深刻に解剖し人間の奥底深く潜める愛慾を描破して戰慄せしむ就中狂へる戀アルマ等最も深刻を極む。

とか(「狂える恋」は原作未特定)、

第七編(三版)
田中 純氏譯 湯の町の戀
大膽なる筆致と描寫の奔放なる點に於て美貌の友(ベラミー)を凌駕すと評せらるゝ長篇にして自然主義の極致を發揮し人間の奥底を描寫して戰慄を感ぜしむる大長篇なり。

とか(『湯の町の恋』は『モントリオル』だけど、これはちょっと無茶な宣伝文句だ)。
で、この全集で一番活躍しているのは、翻訳者矢口達である。

第参編(五版)
矢口 達氏譯 戀の力
中年の畫家と伯爵夫人との戀を描き其矛盾の性態を寫し夫人の容色衰ふに及んで更に其の令嬢を戀ふるに至る徑路を描寫せる有名なる大長篇にして五大長篇中の傑作なり。

たしかに間違ってないんだけど(原作『死の如く強し』)、微妙に焦点がずれている気がするし、

第六編(五版)
矢口 達氏譯 戀の謝肉祭
本篇集むる處總て貳拾九篇戀の謝肉祭は小間使が公爵夫人の假装に匿れて性的戀愛の遊戯に溺るゝ事を描く其他の諸篇皆偉大なる創造力を證するに足る。

「恋の謝肉祭」は残念ながら偽作であるんだけど、いやしかし読みたくなるわさ。あれ。

第九編(三版)
矢口 達氏譯 寝室の一隅
本書には寝室の一隅、ポールの戀人等人口に膾炙せらるゝ有名なる傑作十數篇を収むモ氏が人生の實相を描寫したる天才的手腕の躍如たるを見る。

というのはまあいいんだけど、作品選択の基準が明確な人である。で最後に、

第十編(三版)
矢口 達氏譯
嫉妬(ピエール・エ・ジャン)
曾て犯せし姦通の罪に心を苦しめながら一面に於て之れありしが爲めに人生一度の春に遇ひしを喜ぶ夫人の懺悔と兄弟に絡まる不思議の運命を描寫せり。

これまた焦点が微妙にお母さんにずらしてあるわけで、つまるところ、
「作物全部はほとんど大胆なる性欲描写なり」
に収斂させて読者の好奇心を刺激しようという意図が明らかではなかろうか。
(なぜか私にはそう見えるんだけど、気の迷いでしょうか。)
だいたいどれもこれもタイトルが「恋」づくしなのは、一体何なのか。
それはまあそれとして、
「有名な」とか「天才」とか「傑作」とか「戦慄」とか「偉大なる創造力」とか「自然主義の極致」とか
言うことがいちいち大げさだ(「描写」という言葉が頻出するのも注目ポイント)。
こういう宣伝の効あってかなかってか、いずれもこの時点で三版から八版まで出ていて、
モーパッサンがよく売れたということが、確かめられるようだ。
宣伝文句なんて煽ってなんぼという話かもしれないのだけれど、
それにしても、そんなんでほんとに良かったのかね、という気がしないではない
というだけのお話でした。
締めはこれで。原題は「息子」なんですけどね。

第十三編(三版)
平野威馬雄譯 罪の肉塊
若き血汐の躍るが儘憧れの生活を送る裡に罪の子生れあり噫罪の肉塊ならざる人果して幾人かある本巻にはモ氏天品の短篇十數に有名なる長篇戲曲ミユソツトを添ふ。