えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

アカデミーについて知りたい

おもむろに気になったのでメモ。
権威と束縛を嫌ったモーパッサンが馬鹿にしたものとして
勲章(レジオン・ドヌール)
アカデミー・フランセーズ
『両世界評論』
の三つがある、というのが昔から語られるのだけれど、
実際のところモーパッサンは『両世界評論』に小説を載せている。
これをして一種の「堕落」とする揶揄も昔からあった。
勲章は向こうがくれるとか言う前に亡くなってしまった。
アカデミーに関しては、既に会員のデュマ・フィスが
君なら入れるから推薦してあげるとしつこかったけど
モーパッサンは拒絶した、という風に言われている。
そういうのはありそうな話である。というのは
モーパッサンは時評文でアカデミーをこけにすることを
大層好んでいたから。それはもうけちょんけちょんである。


さて、話は19世紀に限定しておくとする。
とりあえず小説というのは出自の卑しいジャンルだったので
バルザックがいかに奔走しようとも、19世紀前半に
小説家がアカデミー入りすることはありえなかった。
という話が一つ。
小説家として最初に入った(1862年)のはオクターヴ・フイエ(1821-1890)だが、
その事実のみで今日名を残している人と言っても過言ではなかろう。
フイエの跡を継いだのが、ピエール・ロチ(1850-1923)である(1891年)。
その他に小説家って誰かいるんだろうか?
なるほど、
ポール・ブールジェ(1852-1935)が1894年
アナトール・フランス(1844-1924)が1896年に入会している。
(二人とも最初は詩人から出発した、という点は一応考慮すべきだろう。)
他には?
1858年、ジュール・サンドー(1811-1883)(小説家、劇作家)
1880年、マキシム・デュ・カン(1822-1894)(小説家、エッセイスト)
1881年、ヴィクトール・シェルビュリエ(1829-1899)(小説家、劇作家、批評家)
1894年、アンリ・ウーセー(1848-1911)(小説家、歴史家、アルセーヌの息子)
そんなもんでしょうか。
ではこの「不滅の40人」の内、作品が今も読まれているのは誰と誰?
ロチはバルトのお陰で近年多少浮上。
ブールジェはせいぜい『現代心理論』(『弟子』が文学史で出てくるけど
誰がちゃんと読んでいるんだろう。)
アナトール・フランスは日本での人気が根強いのは確かだろう。
フランスではよく知らない。
デュ・カンは(フロベールの友人としての)回想録のみか。
たぶんそんなもんである。


私はなにもモーパッサンのようにアカデミーを馬鹿にしたいのではなく、
19世紀の小説家に限っていうと、
生前のアカデミー入り=聖別化→死後の忘却
死後も読まれ続ける作家=アカデミーに入らなかった人
というのが、ほとんどシステマティックに一貫している
ということは、一体何を意味しているのだろうか
ということが、以前から気になっているのである。
それがイデオロギーの賜物でなければ一体なんだというのだろう。


アカデミーがイデオロギーの賜物であるというのは、
当たり前のことなので言うまでもない。
ものすごく単純に言うと、レアリスム、ナチュラリスムの
作家というのは左寄りだったので、右の権化のアカデミー
が拒絶するのは当然だった、ということなんだろう。
(世俗の権威というのはつまり政治的なものである。)
でもじゃあ今日、19世紀小説の内のある作家を「古典」
と認定し、文学史に書き入れ、作品を出版しつづけてきた
人たちはこぞってこれ、基本的に左よりな人たち
ということになるんでしょうか。
それはおかしな話ではなかろうか。
だって「古典」というのは要するに国民的遺産として
承認するという行為に他ならない。今日、
フロベールやゾラを「国民作家」として承認するにやぶさかで
ないのは、なにも左よりの人に限ることでもないだろう。
(もっとも現存するほんまもんの貴族は歯牙にもかけないかも
しれませんけど。)


ただ作品の美学的価値だけが、その作品の永遠性を保障すると
フロベールボードレールは考えたかったに違いない。
でも後世の受容の実態というのはそんなに純粋なものでは
ありえないはずだと思う。そう信じるのはナイーヴに過ぎよう。
しかしじゃあ現実のとこどういう思想と政治とが絡み合った
結果として現在の公式の文学史が存在するのか、
という問題は大きすぎて私には手に負えないので、
ここまでに書いたことも甚だしく間違っているかもしれない。
何故彼が偉大であり、彼の作品は傑作なのか。
そのことを考えるために文学研究があるとすれば、
その基本は作品(あるいはテクスト)の内在的な読解に
あることは疑うべくもない。でもそこに留まる限りに
見えてこない盲点というものがあるはずで、
文学研究というものを始めて以来、
それがいつも気になっている。
フロベールモーパッサンとゾラの作品を「傑作」だと
私は自分で判断したつもりになっているけれど、
そんなことはとっくの昔にそうと決まっているのである。
私はつまりそのように判断することを、あらかじめ
決められているようなものである。
誰が、何故、どうやってそれを決めたのか。
そして今も決めているのか。私はそれから
少しでも自由になりうるのか。)
アカデミー・フランセーズが構造的に生み出す
ある種の倒錯のようなものは、
その盲点の所在を突き止める一つの鍵になるのではないか、
というのが以前から漠然と頭にあることなのだけれど。