えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

男爵

オリンピックつづき。
これは本当に面白い。
ジョン・J・マカルーン、『オリンピックと近代 評伝クーベルタン』、柴田元幸菅原克也 訳、平凡社、1988年。
クーベルタンの生涯を、主に第一回アテネ・オリンピックまでを中心に辿りながら、
近代オリンピックが生まれるに至った歴史的・社会的背景を浮かび上がらせ、
オリンピックが何であるのかを象徴の概念を軸に説き明かしていく。
正統王党派にして共和主義者たるクーベルタンは、
共和制の時代に貴族としての「勲功」を探し求め、はじめは
スポーツの導入によるフランス教育改革を志し、やがて
オリンピック復活によって国際主義を標榜するに至る。
スポーツによる人格陶冶を疑わない理想主義者であると同時に、
理想の実現のためにあらゆる手を尽くす辣腕の政治屋は、
オリンピック復活を成し遂げた中心人物でありながら、
必ずしもその「勲功」を広く認められたわけではなかった。
オリンピックを生みながら、オリンピックが何になったかを理解できなかった男。
膨大な注を含めて600頁を越す大作。


こちらは勢いにまかせて一気読み。
松瀬学、『五輪ボイコット 幻のモスクワ、28年目の証言』、新潮社、2008年。
問題の核は、当時のJOCは半官の日本体育協会の下部組織であったために、
政府の圧力に屈する形で、ボイコットを決定せざるをえなかった、
ということにある。それだけならまあ簡単な話ではあるが、本書は
当時の関係者17人へのインタビューによって構成されているので、
一人一人の人生と思いが籠るだけに読み応えがある。
オリンピックに賭けて全力を尽くしていた選手達の無念さには思い余るものが
あり、一方で、この経験の悔しさをバネに、その後JOC独立を成し遂げた
人々の熱意にも感服させられる。つまるところ、
スポーツは政治と関わらざるをえないという事実を思い知らされたのが、
モスクワ五輪のボイコットという事件だった。
しかし現在、スポーツと政界、財界との結びつきは以前にも増して強まっており、
果たしてスポーツ界は真に自立しえているだろうか、と著者は警告する
のでもある。なるほど、なるほど。
いやはや、色々あるものだ。